真のプライドとは

 私は人が憤ったり、怒ったりする時、二通りの理由があると思う。それは、他人が道義上良くない事をやっていて、それが赦せない場合、それと自分自身の存在を否定されたり、侮辱されたりした場合である。

 私は割合、気が短い方で怒る事がたまにある。私は生長の家の人は怒ったら決していけないなんて思っていない。場合によっては怒った方が相手に取って、良い時だってあるし、また、我々はそんな理性だけで行動出来る様な代物ではなく、激情を抑えられない事だってあるからである。

 相手が道義上良くない事をやっていて、それに対して、怒ってやめさせるのを義憤と言う。古くはキリストが神殿で鳩を売る商売をする輩に対して、鞭を持って断固とした態度でそれを追い出したと伝えられている。私も組織内で組織の為に良からぬ事をしているものに対しては断固とした行動に出た事が何回かある。そうした時の自分の怒りはこれは義憤であると自分で納得していたものである。
 しかし、私は自分自身が侮辱を受けた時も非常に憤慨する性質であった。先日もここで書いたが、私がテニス仲間のペットボトルを間違ってラッパ飲みした時にその相手が「こんなものはもう飲めない」と言わんばかりにそれを私のテニスバッグに放り投げ、新しいペットボトルを買いに行った時の私の怒りはすさまじかった。それは正に自分自身が侮辱を受けた事に対する怒りだった。こういうのを義憤に対して私憤と言う。
 義憤は何か崇高なものに感じられるに対し、私憤というものは何ともみっともない醜いものである。私はお恥ずかしい話だが、これに類した事がよくあった。例えばソフトボール大会で自分が試合に出させてもらえなかったり、その他、自分としては自信がある事を人から認めてもらえず、逆に侮辱された時に非常に憤りを感ずるのである。
 
 ところで私は英検一級を目指して毎日努力しているが、一番苦手で困難に感ずるのはヒアリングである。外国人同士で話している早い英語を聞き取るという事が本当に難しく感じるのである。それでAFNという米軍がやっているラジオ放送を毎日、車に乗りながら1時間位聞く練習をしているのであるが、ある時、「分からない、出来ない自分が少しずつ聞く練習をして、分かる様になるのではない。今、自分はこの早い英語が分かるのだ。たった今、である。今、無限力だ、今、完全円満だ。その完全円満、無限力の自分が今、英語を聞いているのだ。今、無限力であり、今、英語は分かるのだ。それでどんどん聴き、読み、話していけば良いのだ。」という事が瞬間的にパッと頭にひらめいた。
 それで他のあらゆる自分に取って、出来ないと感ずるものもまだ駄目な、不完全な、能力の無い自分が少しずつ、練習して行って、出来る様になるのではなく、今、既に出来るとしてどんどんやって行けば良いのであり、今、私は完全円満であったと分かったのである。

 我々は今、出来る。たった今、完全円満、無限力である。この自覚があれば、どんなに他人に腐されたとしても微塵も傷つく事は無いのである。例え現象は不完全であっても、現象は本来存在せず、そんなものは自分自身の過去の念の残像に過ぎないものであり、いい時もあれば、悪い時もあるユラユラとして陽炎の様なものであるからである。
 プライドを傷つけられたと言って、憤慨するのは真に自信が無いからである。他人からちょっと腐された位でゆらいでしまうものなら完全円満とは言えないのである。本当に自分が今、完全円満であるという自信があれば、他人から変な事を言われたり、されたりしてもいささかも傷つく事は無い。
 誠にも我らの実相は金剛不壊のものであり、火にも焼けず、水にも溺れざる、絶対に傷つかないものである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-07-06 11:00 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by erica at 2007-07-06 20:35 x
そうですね。プライドに傷かつくのは、自分の本当の姿、神のこの姿をしらないからですね。
私は逆に何に対しても「ノンキ」であり、カッとなること滅多にないことですが、それもよいことかな~と悩むことがあります。
もっと神の子である自分を自覚して、もっと世間に興味を持って、自分の個性を育てるべきではないか、と思うときがあります。
Commented by koujihori at 2007-07-06 21:17
ericaさん
 
 ノンキなのはいいですね。それはやはり、ericaさんの心が広いからですよ。ericaさんは英語も日本語も出来るし、労働関係の勉強もされているし、講習会での運営のマニュアルは完璧なものを作るし、その力と個性には僕もほんとに関心してますよ。
Commented by erica at 2007-07-07 13:55 x
堀さん
賛嘆のお言葉、有り難うございます。
そう言われると、自分は何か素晴らしい人に聞こえるけど、それぞれ歩む道があると思います。神様に頂いた能力を生かすのは大事であるが、その能力を生かすと同時に、神の子の全面的な特徴を育てる努力が人間として必要である、と感じています。
私は形としてはある程度、人生を整えることができていると思います。が、これからはもっと、もっと内側を整理して、周りの人、社会、ブラジル、日本、世界に貢献して行かなければいけないと思っています。

でも、それは自分を責めているとの意味はないですよ。自分に対してもノンキだから。苦しまない程度で、何でも考えてみる、やってみる派であるから。(笑)
この点が、ノンキ性格に悩む点です。苦しむくらいだったら、関わりを避けたり、自分の中で否定したりする傾向が多少あるから。単に現象を否定するのではなく、実相を見る訓練が必要ですね。
Commented by koujihori at 2007-07-09 09:07
ericaさん

〉その能力を生かすと同時に、神の子の全面的な特徴を育てる努力が人間として必要である、と感じています。

 そういう風に感じて、ノンキかなと思う自分に多少、問題意識を持っているという事が素晴らしいんですよ。それはericaさんの中に無限に伸びたい神の生命があるからです。

 この世界はそのままで我々の中の無限の素晴らしさが自ずと出て来る様に神から用意された人生学校ですから、一つ一つ自分に巡って来る課題から目を背けないで生きていけばいいですね。
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