生長の家とは何か(4)

 生長の家は谷口雅春先生が御自身の長年の血の滲む様な求道の末、遂に「人間は完全円満の神の子である。」という宇宙の真理をお悟りになり、その後、昭和五年にそのお悟りのままに綴った御文章を「生長の家」という雑誌として発表せられ、それを自費出版で千部一括し、理解のありそうな知人に無代進呈した所から始まる。

 その後、この雑誌「生長の家」を読んだ人の中から、医療では不治の病がそれを読んで心が変わっただけで治るという奇跡的事象が次々起こり、そして、それを契機に生長の家が日本国中に燎原の火の如く、一気に拡がって行き、そして、現在では世界中で200万人以上の信徒を抱える一大教団となった。

 生長の家は宇宙の真理を説いており、それは一宗、一派の宗教や宗門ではなく、全ての正しい教えは一つの真理が共通していると説き、その共通の真理を現代語で分かり易く説いている。全ての宗教が元は一つであるから、お互い、それぞれの役割を讃え合って、仲良く協力して行く事、即ち万教帰一の重要性を説いている。
 そして、そのそれぞれの宗教の神髄を現代語で分かり易く説く事により、それぞれの宗教の神髄を現代に生かし、現代人にその真理を理解、把握せしめ、教化する事が目的である。
 その生長の家の教えの神髄を人々は勉強し、かつ実践して、おのれの中に既に宇宙の真理、完全円満なる生命を悟る事により、無限生長し、病気や悩み、迷い等の人生の色々な不如意を解決する事が出来るのである。

 そこで生長の家の信徒は「生命の実相」を始めとする生長の家の書物を読み、そして、それが自分の今丁度抱えている悩みとか問題を解決する為の素晴らしいヒントを授かったりして、それで救われたり、また生長の家の書物を人生の羅針盤にしたりしているのである。

 しかし、本当に救われるという事は生長の家の書物に頼る事により為されるのではない。自己の完全円満なる神の生命を悟らずにただ、生長の家の書物とか言葉とかに頼るという姿勢では駄目である。
 生長の家の書物の言葉は素晴らしい真理が説かれているが、それはその全ての言葉が物質はナイ、人間は神の子であるという一大真理の悟りに導く為に表現されているのであって、その一つ一つの言葉や表現に引っ掛かったり、とらわれたりしては駄目なのである。

 本当に救われる、自己の生命の実相の完全円満さを悟るという事はその文字通り、自己の中に真理があるという事を悟らなくてはならないのである。自己の中に完全円満なる神の生命を悟らず、従って自己の中に自己を真に導く一大真理があるという事を悟らず、生長の家の書物にそれを求めているならば、その書物で表現された一つ一つの言葉に引っ掛かり、とらわれ、却って、悩んだり、暗くなったりする事もあるのである。

 生長の家とは一人一人の中に生長の家の真理があるという事であり、生長の家の人類光明化運動の目的はその宇宙の真理がそれぞれの人の中に既にあって、生長の家の書物とか先生とか教団に頼らなくても、その人の生命だけで自立出来る事を目的とするのである。

 生長の家の真理は全人類の生命の中にあるのである。それを知らしめるのが生長の家である。それがキリストの「汝の内にのみ神の国はあるなり。」という言葉である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-08-07 13:12 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented by erica at 2007-08-09 01:11 x
>その書物で表現された一つ一つの言葉に引っ掛かり、とらわれ、却って、悩んだり、暗くなったりする事もあるのである。

『実相』とは、現象世界の表現力や言葉では表しきれない素晴らしいものであるため、「一つ一つの言葉に引っかからないで」、直接実相世界に自分を投入させるということですね。

谷口雅春先生は「私はラッパである」とよく書かれましたね。私にはそのお言葉には深い意味があると思います。ラッパであるため、「雅春」を見ないで、そこから出る音を楽しんでください、ということですね。谷口先生は「現象世界のありとしあらゆるものはすべて無常であり、完全なものはないのがあたりまえである」とのことを悟っていたからこそ、現象世界に現れた「雅春」を見ないで、「雅春」が示す神を見てと指摘していましたでしょう。
生長の家の御教えについても同じことですね。現象世界の言葉一つ一つ見ないで、その奥に隠れている生命を自覚しなければいけないのですね。
Commented by koujihori at 2007-08-09 08:52
ericaさん

 自己の「そのままで救われている生命」を自覚しないと生長の家の本に書かれている生き方でああすべき、こうすべきという事にとらわれてしまって、こうしないと駄目なんじゃないか、不幸になるんじゃないか、自分は罪を犯したんじゃないか等々悩み、他人もその尺度で審いたりして、生長の家なんてやらない人の方がよっぽど良いなんて事になりかねないですね。

 結局、これから生長の家をやろうとする人は三正行(神想観、聖典読誦、愛行)を地道にやって、自分の中のそのままで救われている生命を掘り出す以外ないです。
Commented by erica at 2007-08-09 10:38 x
堀さん
只今、ピンと来ました。
ありがとうございます!!!
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