立ち向かう人は自分の心の影(2)

 生長の家の神示に「心の法則と平和への道の神示」というものがある。そこには「乱を忘れざる者はついに乱に逢う。乱を忘れざるが故に常に恐怖し、乱を忘れざるが故に武備をたくわえ、武備を蓄えるが故に近隣を威脅し、近隣を威脅するがために、近隣また恐怖して武備を増す。かくの如くして近隣兵を増すを見て、また自国は更に兵を加えて互いに虎視眈々として近隣相睥睨す・・・」とある。

 私は生長の家を幼い時から勉強してきて現象はナイ、悪はナイ、人類は全て神により生かされ、救われているという事を悟る事が出来た。それは十年前に榎本恵吾先生の薫陶によるのであるが、その悟りと自覚はまだまだ観念的なものであった。
 実生活では相手を悪と見て、それを懲らしめようとか、怒りつけようという心情をずうっと持ってきたと思う。会社でも地域でもこの人間は油断のならない人間である、この者は怠惰な者であるというレッテルを相手に貼り、常に警戒心を持って、接してきた様な部分があったと思う。

 しかし、遂にその私の観念的悟りが実際的、実生活的な悟りになる時がやって来たのである。私はこの半年間どうも、この事は絶対許せない、この人間は絶対勘弁ならんと思い、怒りをぶつける事が何回かあったが、先日、その究極と思われる体験をしたのである。私はその相手を絶対に赦せないと思った。しかし、その怒りがほぼ頂点に達した直後、相手のその無礼極まりない態度こそが自分自身の他を心の底から信用しない、警戒し、攻撃しようとする心的態度そのものであるという事を直感的に自覚したのであった。その瞬間、私はこの世に悪人は一人も存在しないという事を正に実感したのである。
 真理は人間は神の子で皆、良い人ばかりなのである。それは将来そうなるのではなく、宇宙の初めから既に今、そうなのである。それなら現実の目の前の良からぬ事を考えていると思われる相手、ずるい事をして、言い逃れして誤魔化す事ばかりやる相手、そして、こちらに意地悪や不信感を向けてくる相手は何かと言ったら、それは皆、実は存在せず、それら全ての全ては皆一切自分自身の「この世に悪あり、悪人あり」という不信、疑いの念の映しに他ならないのである。「いや、そんな事言ったって、現実には泥棒も人殺しもうようよ居るんだから、みんな良い人だなんて気を緩めないで、警戒すべきだ。誰でも信用して、無警戒ではたちまち身ぐるみはがされるか殺されてしまうだろう。」と言うかも知れないが、殺されたり、身ぐるみはがされるのはそういう悪い事をする悪い相手が具体的に存在するからではなく、こちらに相手を攻撃してやろうという心があるからなのである。それは相手を悪い相手だと思って、恐怖するからである。(しかし、肉体の免疫作用が自然の防衛本能として備わっているように我々も当たり前に家の戸締まりをし、国も適当な防衛力を持つべきである。それは恐怖心によって武備を蓄えるのではなく、一個の生体としての当たり前の防衛本能である。)

 この世に悪い人間、悪はナイのである。それがあったり、それにこちらが傷つけられるとすればこちらに相手を害する心、疑う心があって、それが自分に返って来ているだけなのである。それが分かれば、相手は悪人の仮面を取って、善人の素顔を表すのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-08-17 21:58 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by sato at 2007-08-20 10:11 x
礼拝
その通りと思います。

立ち向こう人の心は鏡なり
おのが姿を移してやみん(黒住宗忠 御七ヵ条より)

世の中の事はこころほどずつの事なり。
心が神なれば即ち神なり。(道の理より)

再拝
Commented by koujihori at 2007-08-20 12:16
sato様

 コメント有り難うございました。また、貴重な素晴らしい方の尊いお言葉、お教え下さいまして、有り難うございました。黒住様のお言葉は存じ上げておりましたが、もう一つのは初めて知りました。
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