無限の宝庫を開く鍵

 人間は神の子である。神は完全円満、無限力であるからその全徳を継承している神の子人間は神そのものであり、今、このままで完全円満、無限力である。しかし、それは現象の事ではない。現象は見ての通り、不完全であり、有限である。現象は本当の実相人間の表現であり、映しである。

 我らが自己の実相を自覚するに従って、我らの念の映しである現象にそれが現れて来る。従って、我らは自己の生命の実相の完全円満さ、無限力を悟る事が何よりも重要な事である。人生の目的は正にそれであるし、また人生は同時にその無限力を表現する場、即ちキャンバスである。

 人間は自己に無限の宝があるという事を知れば、それを自由に使う事が出来る。また逆に知らなければいくら持っていてもそれを使う事は全然出来ない。それはあたかも自分のコートの内側に百万円のダイヤが縫いつけられている人がいるとして、本人がそれを知っていれば自由にその百万円を使い、好きな物が買えるのに対し、それを知らなければ、それを使えず、一個のパンも買えずに飢え死にしてしまうかも知れないのである。

 生長の家ではその事を教えられ、人間は神の子ですよ、無限力ですよと教えられる。しかし、それは実相の事であって、現象の私はまだまだ駄目ですなんて言っている人はこの現に百万円のダイヤを持ちながらもそれを使えないで飢え死にする人と大差は無いのである。

 我らが無限力、無限健康であるというのは将来の事ではなくて、今、正に今の事なのである。そこの所が重要な事である。でも実相はそうでも現象はまだ駄目だよと言うかも知れない。しかし、現象はナイとやはり、我らは教えられているのである。現象はナイのであり、今、ここに完全円満、無限力の神の生命である真の自己が存在しているだけである。

 私は英会話とテニスを真剣にやる中でその事を実感する事が出来た。それまでは現在の自分をまだまだ不完全と見て、それを完全にする為に良くする為にせっせと練習や勉強を続けて来たのである。しかし、十年以上やっていても一向にうだつが上がらないのであった。しかし、ある時、自分は今、テニスが出来る、今、英語が出来ると言うことに気がついたのである。その瞬間以降、私は自由にその力を使う事が出来るようになって、テニスにしろ英語にしろ、ぐんと実力が上がったのである。

 我々は今、出来るのである。このままで出来るのである。練習してこれから出来る様にまたは完全になるのではなく、今、出来る生命が動き出して、それが結果的に練習になるのである。無限力を開く鍵は今、出来るという事である。今、出来ると思えばこそ力を使える。これが真の訓練であり、練習である。
 今は未だ出来ないが、訓練で将来出来るようになるなんて思っていれば、本当にその力を使う事は無いから、その力も使われないで錆び付いたままである。全ての不幸、不如意の元は自分はまだ駄目だ、不完全だと思って、それを良くしようとする所から生じる。

堀 浩二
by koujihori | 2007-08-23 12:25 | 潜在能力 | Trackback | Comments(0)
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