実相は自分で出て来る(2)

 私の人生は悦びに満ちているが、決してそれは甘いものではなかった。数々の失敗があり、恥もかき、人を傷つけた事も傷つけられた事もあったし、対立もあった。しかし、それらは全て私の中の神様、即ち実相が顕現する為の初期過程であった。

 私の知っている人で仙人の様な人がいる。この人は大変個性的な人でかつ、かなりの悟りを得た人である。この人が言うに人生というのはどんどん失敗してどんどん体験を得る事が大事だと言う事である。良い事をしましょう、道を踏み外さない様に生長の家の生き方をやって、失敗しないようにしましょう、幸せになりましょうなんてものではなくて、どんどん失敗して苦労してその経験の中から自ずと本来の生き方が出て来る様でなくてはならないと言うのである。

 私はその通りだと思った。先日、私は地元のPTA主催のソフトボール大会に出場した。私は野球に関してはバッティングはまあまあだが守備が上手くないので打つ専門のDHという枠で出場した。そこでホームランを含め、三打数二安打と言う成績で、チームは敗れたが、自分としては満足の行く結果だった。
 ところで私の地区の知り合いに前々からなんだかんだと私に難癖をつけて来る人物がいるのだが、そのソフトボール大会が終わった後の打ち上げの宴会でその人物と私はトラブルを起こした。
 その人物は地域のスポーツ指導員をしていて、野球経験があり、私の息子の同級生の父親であるのだが、その人物はその宴会の席上、皆の前でいきなり「お前は何も(野球の事が)分からない癖に試合中、偉そうな事を言うな。」と私に切り出したのである。
 私は生長の家を学び、人間の能力の可能性、その引き出し方を日夜研究し、様々な機会の中でその実践もして、その信念も深めている。そうした立場から試合中に他の選手に精神面の色々なアドバイスをするのだが、それが野球経験者であるこの人物には気に入らなかったらしい。
 私は今までこの人物に嫌みや意地の悪い軽口を何かにつけて言われていたが、それまでは笑って流していた。しかし、この時ばかりは私も堪忍袋の緒がさすがに切れて、「あんたは野球経験者で野球に詳しいかも知れないが自分は野球の事は詳しくなくても野球以外の事で様々な経験を積んでおり、そこから色々、人にアドバイス出来る事もあるんだ。」と切り返した。その後も言い合いが続いたが、私は非常に不愉快な思いを楽しいはずの宴会でしたのである。

 この様に私の人生は人と対立したり、嫌みを言われたり、恥をかいたり、面白くない事が起こる事もある。しかし、それは元を辿れば全て私自身が自ら蒔いている種を私が刈り取っているだけの事である。他人を人前で公然と批判してその相手に恥をかかせたりするのは私が過去にそういう同じ様な事を他の人にやっていたからである。それが帰って来ただけの事であり、実際に私に嫌な事を言う嫌な人がいるのではなく、全て、私の心が描き出した映像に過ぎないのである。

 私は生長の家の生き方を何としてもやらなくてはならないなどと自分自身を縛ってはいない。腹が立ったら怒鳴る事もあるし、相手の批判をする事もある。それは決して生長の家の生き方ではないが、しかし、我(が)が自分の運命を良くする為に自分の業を清めようなどとして、心からそう思わないのに相手に「有り難うございます」とか言ったり、にこにこしたりするのは間違っているのである。

 生長の家副総裁、谷口雅宣先生が良く次の様に仰る。「善とは悪も為す自由の中から自らの自由意志で自ら選択して良い事を行う事であるのである。」と。

 実相が出て来るという事は実相が自分で出て来るという事である。それはそのままの心で、現象的に見れば、道に外れた事をして、その結果失敗して、そうした失敗経験を重ねながら、自ずと本当にこういう生き方が良いと心の底から反省というか思い知って、自らの自由意志で正しい事、聖典「生命の実相」第七巻、生活編に書いてある様な模範的な生き方を選び取る様になるという事である。

 私はその宴会で自分が嫌な思い、痛い思いをしたお陰でそれまでの自分が会社等で如何にぞんざいな口の利き方を人にしていたか、上司を相手の立場も考えずに公然と会議で批判していたかという事を痛感し、二度とそうした無礼な事をしない様に心の底から思ったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-08-31 13:10 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(6)
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Commented by erica at 2007-08-31 15:06 x
堀さん、良かったですね。
私も経験には善し悪しは無いと思います。多数の経験を積んでいくことで自分と周囲の実相が現れてくるのですね。
だからこそ、神様は我々に自由を与えてくれたのだと思います。
Commented by koujihori at 2007-08-31 21:59
ericaさん
 
 度々コメント有り難うございます。僕ってけっこうシビアな世界に住んでるでしょう?でも、これが不幸だなんて全然思っていません。急速に進歩生長させて頂いている事にむしろ感謝しています。

 それと次々と出てくる問題がむしろ、問題や罪や悪は具体的に存在せず、自分の心が作り出し、現象界に投影させている映像に過ぎないという実感をもたせてくれます。そして、それに伴って、人格の生長を本当に自然な形でさせて頂ける事で本当に我(が)は要らない、神様にただ生かされているという悦びを感じます。
Commented by ゆきえ at 2007-09-03 00:10 x
楽しそうだなあと思っては不謹慎でしょうか。感情をぶつけ合うエネルギーが素晴らしいなあと思ってしまいました。
Commented by koujihori at 2007-09-03 11:11
幸江さん

 有り難うございます。幸江さんに取っては全てが輝いて見えるのですね。確かに楽しいですよ。僕はやりたい事をやっていますから。でも、僕は昔は完全なマニュアル人間でした。それでとらわれてとらわれて遂につぶれてしまったんです。でも、それで僕の本物の生命の実相、とらわれのない悦びが出て来たんです。
 だから、とらわれるのも徹底した方がいいかも知れません。
Commented by e_sophy at 2007-09-03 17:15
私も失敗したり行き詰ったりしてきましたが、歳を重ねてそれが経験として活かされているなと思います。
最近特に思うのは「反省はしても、自分を責めない」ってこと。
失敗して「まずかったな、悪かったな、今度は気をつけよう」とは思っても
「失敗した・・・なんてダメな私なんだろう」とは思わないようになりました。
過ぎたことはどうしたって戻らないんだからそのことで自分を責めても意味ない。人生の越し方ではなく行く末に失敗を取り返すチャンスを見出すようになりました。
強くなったなぁ、わたし^^
Commented by koujihori at 2007-09-03 21:30
sophy様

 早速コメント有り難うございました。sophyさんのブログにあんな厚かましい事書いてすいませんでした。でも「求めよ。さらば与えられん。」ですね。

 「反省はしても、自分を責めない」っていいですね。

 僕は真の反省は自分の中から本物が出てきた悦びだと思います。自分の中から本物の悟りと生長が出てきたから過去の自分が間違っていたと反省出来るんですから、そこには悦びこそあれ、自己嫌悪なんて存在し得ません。
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