生長の家は自分の中にある。

 1999年に公開された「マトリックス」という映画をご存知だろうか?映画ファンなら先ずご存知だと思う。主演はキアヌ・リーブスで私の中で殆ど1位か2位かの作品である。この映画は当時はまだ珍しかった色々なCG(コンピュータグラフィック)技術を駆使し、それが話題になったが、この映画の良さはそんな事ではない。
 この映画はその内容が哲学的、信仰的示唆に富んでいて本当に素晴らしいのである。現象は具体的な存在ではなく、念の作り出した単なる映像である事、愛とは確かめる事ではなくて、信ずるものである事、もう駄目だと思ったピンチの後に素晴らしい成就が訪れる事、そして、人間は無限の可能性を持っているという事等々の真理が絶妙なセリフと展開で表現されている。余談だがこの続編に二作品作られたがこれが、「何故だ!」と思う位の駄作なのである。映画の命が失われ、やたらと派手なCGと変に小難しい理屈が並べられているだけの作品であると思う。とても同じ監督とは思えない。

 さて、その中で主人公のネオ(キアヌ・リーブス)を導くモーフィアスがネオに言った言葉に「入り口までは案内するがその入り口を開けるのはお前自身だ。」というのがある。入り口というのは真理の入り口の事である。生長の家を始めとする宇宙の真理を説く古今東西の信仰はその真理の入り口までは先生とか指導者に導いてもらうのだが、真理を悟る所までは先生は面倒を見てくれず、自分で悟る以外無いのである。

 いくら生長の家の本を読んで、そこに書いてある事を一字一句暗記したとしても駄目なのである。自分で悟るという事は先生の言葉に一切頼らず、真理とはこういうものであると自らの言葉、自らの判断で述べる事が出来なくてはならないという事である。従って、一切のマニュアル的なものに頼らず、その時その場においてどうするかは自由自在に臨機応変に自ら決定しなくてはならないという事である。それが人間は神の子であるという本当の意味であるし、神の国即ち生長の家は我が内にあるという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-09-12 13:05 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by yukiesakai at 2007-09-13 21:57 x
私もマトリックスが大好きです。

 >人間は無限の可能性を持っているという事等々の真理が絶妙なセリフと展開で表現されている。

私達は真理として捉えたけれど、つくり手は其処までわかってなかったのかもしれませんね。二作以降を考えると。二作目はラブストーリーとして楽しめましたが、三作目はもう勘弁して!!わけがわからん と、悲しくなりましたから。


>真理を悟る所までは先生は面倒を見てくれず、自分で悟る以外無いのである。

雅宣先生に書き込みをされている品の無いコメントは、

 我らに教えないとはけしからん!教えやがれと文句を言ってるようですね。

9月10日の小閑雑感への掘先生の書き込みに代弁してくださってありがとうと感謝しました。
Commented by koujihori at 2007-09-13 22:38
幸江さん

 マトリックスの作り手が真理の事を考えないで作ったのですか?そんな事無いと思いますが。ところでマトリックス一作目で引用された真理はある宗教の教義から取ったって聞きました。宗教名は忘れましたが、キリスト教の一派と記憶してます。

 確かに二作目はラブストーリー的でしたね。でも、ベッドシーンとか出てきてちょっと俗っぽくなかったですか?一作目のラストシーンで「私が愛した人が救世主だからあなたは死ぬはずがない」って、トリニティーがネオに言ったあの言葉が本当の愛ですよね。
 でも監督が同じなのにどうして二作目以降、作品の生命が失われてしまったのか不思議でなりません。

 ところであの書き込み騒動は僕が引き起こしてしまったのではないかとちょっと気にしていました。最初のコメントが余りに無礼だったので我慢ならんって気になってしまいました。でも、幸江さんにそう言って頂けるとほっとします。
Commented by e_sophy at 2007-09-19 07:59
三作目は確かに難解でしたがやはりキリスト教の教えがベースなんだなと思いました。善に対抗しうる悪があって相戦うということとか、特にラスト直前のネオが死んでしまうシーンは象徴的だなと思いました。ザイオンを救うために犠牲になって倒れ行くネオは、黄金の光に包まれてまさに十字架にかかったイエス・キリストなんだなと思いました。
Commented by koujihori at 2007-09-19 09:09
sophyさん

 そうですか。三作目もそんな意味があったのですか。僕は全然気がつきませんでした。sophyさんは読みが深いですね。 
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