放つ

 現在、一番巷で話題になっているのは安倍首相の突然の辞任劇だろう。安倍さんはどうも精神的に相当参っている様で、これはもう首相職を続けるのは無理だったのである。首相就任以来わずか一年の間にこれだけの閣僚のスキャンダルとか年金問題等の問題、そしてそれを受けての選挙の大敗が続けば、余程の心臓に毛の生えている様な人物か悟りを啓いた人物でなければ、とてもではないが精神的に持ちこたえられないと私は思う。
 安倍さんは拉致問題に関しては本当に一所懸命尽くしてくれたと思うし、首相就任後も戦後レジームからの脱却を目指し、憲法改正、教育基本法改正等を目指して、純粋に日本国の為に頑張ろうという立派な愛国者だと思う。しかし、純粋故に物事を適当に流す術を心得ていなかったのだと思う。

 “放つ”という事が大切である。几帳面な真面目な人ほど、ものごとをちゃんと完璧にやろうとする。落ちは無いか、間違いは無いかと。

  “放つ”という事は神に全託するという事であり、捨身という事である。そして、それは神への絶対の信頼の行動化である。
 この宇宙が完全円満、無限なる神により、隅々まで完全に運行されている事を信じれば、神に全託する事が出来るのである。神に任せず、自分がちゃんとやれているか確認したい、自分が完璧にやらなくてはならぬという心は神を信じておらず、それは今、そのままではうまく行かないと思う心であるから、どんどん不安に、かつ弱くなって行き、そして、この世界は思ったら思った通りになる世界であるから、うまくやろう、完璧にやろうとして、却って、全てがうまく行かなくなるのである。
 そして、完全に間違いなく自分がやらなくてはいけないなどと思っていると、何回もメモを確認したり、他人に確認したりして、自分の記憶力や判断力を使う事が不安になって、それを使わなくなるから、自分の能力も訓練されず、どんどん落ちて行く。
 だから、心からものごとを放して、捨身にならなくてはならない。自分がちゃんとやろう、やらなくてはならないという心を捨てて、神に本当に全面的にお任せする気持ちにならなくてはならない。そうでないと本当に能力を発揮できず、自信を失い、全てはうまく行かなくなるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-09-21 12:29 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from 浅尾美和の画像とハプニン.. at 2007-09-27 16:05
タイトル : 浅尾美和の画像とハプニング映像
ので浅尾美和の動画とハプニング映像、そして盗撮映像など載せてみようっと。 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和 画像 浅尾美和ってS?それともM? とりあえず夢の中ではSだった。 浅尾美和に海の家見たいなところに連れて行かれてビキニ脱ぎだして、脅迫的な感じで、「どう?」みたいな・・。 それにしても夢の中のおれ、弱かったな~。 浅尾美和 画像 浅...... more
Commented by erica at 2007-09-21 18:29 x
放つということが成功の元ですね。それを練成会の同時通訳を通して実感することができました。
最初は自分にはできないと思い、全く日本語ができない方のために、少しでも通訳できれば良いと思って、すべてを神に任して通訳をつとめた。すると、思ったよりうまく行き、次の日は神に任せることなく、「自分」ができるという思いで始めた。そうしたら、自分の力だけではすごい集中力が要るし、一つの文章も見逃せない長時間なので頭の疲れで頭痛が始まった。お昼休みにはもうどうしようもなく、反省しました。
「『自分』がやっているのではない、神様がすべてをやってくださるのだ」と理解し、改めて神様に任しました。それ以降、すべてが順調で頭痛も忘れてしまいました。
神様のおかげで、3日間良い同時通訳が出来たと思います。
Commented by 三谷文人 at 2007-09-22 12:18 x
 映画「マトリックス」の一作目で、ビルを飛び越える練習シーンがありましたよね。確か、その時のセリフが「心を解放しろ」だったと思います。
 心を放てば、それだけでうまく行くようになったのですね。

 話は脱線しますが、ちなみにネオの名前は、ネオン(光)から来ており、恋人のトリニティの名前は、三位一体という意味だそうですよ。他にも、ザイオンは神の国という意味で、モーフィアス達が乗り込む船には、「マルコ伝福音書3章11節」と記されているそうです。その船に乗って戦うところは、キリスト教的世界観が反映されていますよね。

 私も一作目が良かったですね。預言者はネオが人類を救う救世主であることを知りながら、そのことは一切告げず、「自分の生命か、仲間の生命か、どちらか一方を選択しないといけない時が来る」という意味深長な言葉を残します。

 果たして、予言通りにその時がやって来て、ネオは自分の生命を捨てて、仲間の生命を救おうと愛の心を起こしましたね。
 愛の心が本性を呼び覚まして、自分が救世主であることを自ら悟り、復活を遂げる、というところが一つの宗教的メッセージになっていると思いました。
 
Commented by koujihori at 2007-09-22 21:39
三谷さん

 僕達は今、そのままで神であり、それは今、そのままで無限力であるという事です。だから、僕達はそれを自ら抑えつけさえしなければ、いいんです。それが心を解放しろという事ですし、それが出来れば無限力をどんどん発揮出来ます。それには自己を全く捧げる、捨身が要求されます。でも、それを実行させて下さるのも神様です。生長の家は自分が全く要らないんです。

 それは自己の生命を捨て、仲間の生命を救うという行動とも表れますね。ただ、仲間の生命を救うなんて力まないでも、自己を良くしよう、何とかしようという自己をつかむ心を放す事がそのまま愛だと思います。
Commented by koujihori at 2007-09-22 22:13
ericaさん

 今日、先日の練成会が同時通訳で行われました。という話を聞きましたが、何とericaさんがやっていたのですね。素晴らしいです。
 
 仰る通り、自己の心を放して、神に全託した時、神に支えられ、とってもいい気持ちになりますね。それを実行するのは最初はちょっと勇気が要りますけど。その勇気も神が与えてくれるんですよね。

 生長の家は全託の教えであり、神に全面的に生かされるの教えです。自分は何にもしなくていいんですよ。自分が要らない、神にただ生かされているという実感が「感謝」という事です。それが生長の家の招神歌の内容です。
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