悪い所を良くしようとしないで既に良い所を悦ぶ

 鬱病とは気持ちがふさぎ込んで覇気ややる気が無くなり、夜も眠れなくなり、食欲も無くなる病気であるが、鬱病の鬱(うつ)は人を討つのうつの事であり、鬱病とは人を討つ心の現れであるのである。
 要するに他人を自分の尺度で審き、討つ心が蓄積すると鬱病になるのである。だから、こういう人は自分の心を反省し、恨んでいる人がいるならば、赦さなくてはならない。

 さて、その心は別の言い方をすれば、本人が痛く真面目でものごとをゆるがせに出来ないという性格から来るのである。それは完璧を目指して、自分の不得意な部分を克服しようとしたり、問題があったら、それを解決しなくてはならないと頑張る心である。問題をゆるがせに出来ないと思うから、不愉快な出来事、不愉快な人物にも引っ掛かり、それを心で責め、討つのである。
 しかし、問題とか、その他面白くない事、不愉快な事というのは過去の念の残像であり、そんなものは取るに足らないものなのである。だから、そうした問題や不完全な部分や未発達な部分、不愉快な出来事等々はもやの様なものであり、本来、実在しないものであるから放っておけば良いのである。放っておけばその内、消える。それは神様が消して下さるのである。
 それを生長の家では日時計主義と呼んでいるのである。日時計主義とは不愉快な出来事の記憶を出来るだけ思い出さない様にして、良い事のみを記憶にとどめるという生き方であるが、その様に悪いもの、問題、自分の短所等に引っ掛かってそれを良くしようなんて思わないでそんなものは非実在として、放っておいて、今、既に与えられた長所とか良い面のみを悦んでいけば、それがそのまま日時計主義になる。

 そうしていけば、今、すぐに自分が天国浄土にいる事を実感する事が出来る。この問題を解決してから、この短所を克服してからなんて完璧にこだわっていれば、例え、一つの問題を解決し得ても、その悪い所を良くしようという心が問題を次から次へと造りだし、悩みは尽きないという事になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-09-25 13:02 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2007-09-25 18:59 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2007-09-25 23:05
シークレットコメント様

 鬱病が討つ心の現れという事は私は県内のある生長の家の地方講師の方の講話から知りました。本ではありません。だから、どの本にその事が書かれているか存じません。
Commented by 定年後の本部講師 at 2007-09-27 20:56 x
安倍元総理の件、うつ病に対する生長の家の見解、どれも不確かなものばかりではありませんか。
そのような事を地方講師が断言するような口調で語ってはいけませんね。雅宣さんに怒られますよ。
Commented by koujihori at 2007-09-27 22:08
定年後の本部講師様

 ご助言有り難うございました。
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