汝の敵を愛せよ

 キリストは「汝の敵を愛せよ」と仰った。キリストは自分が磔になる時も自分を磔にしようとしているローマ兵達の事を「神よ。彼らを許し給え。彼らは自分が何をやっているか分からないのです。」と神に対して、自分を殺そうとしている相手の赦しまで乞いている。
 このキリストの生き方は究極の愛の生き方であり、キリストは歴史的に最高の愛の実践者だったという見方もある。生長の家創始者、谷口雅春先生はそれより一歩踏み込んで、「敵は本来存在しない。」と仰った。この相手は自分を害する敵であると心で認めれば、それを愛するという事は多少の力みがあるのである。しかし、敵というのは本来存在せず、それは自分の単なる心の影であると言うことを悟れば、その相手を愛するのに力みも無理も要らないのである。

 私は日常生活において、基本的にあまり我慢しない。それは所構わず感情を爆発させていれば、社会生活は営めないので、わきまえるべき所はさすがにわきまえるが、比較的、感情を抑える事は無い。だから、相手が理不尽な事をすれば、割合、相手に怒りをぶつける方である。要するに表面を取り繕ったり、憎いと思っているのに無理に赦そうなんて事は基本的に考えないのである。
 私はある時、ある会合である相手の言った言葉に非常に憤慨した。しかし、それを相手にストレートに伝える事はしなかったが、その相手に憤りを感じているので、その相手と話さなければならない時はつっけんどんな感じになった。それは相手も感じたらしく、相手も私に同じ様な冷ややかな感じで応対した。私はそうこうしている内に気持ちが鬱っぽくなって来た。生長の家のある講師の方が仰っていたが鬱病というのは人を討つ心があるとなるという事で、私も相手を討つ心があったから鬱っぽくなって来たのだと思う。でも、その相手とは引き続き、色々な用事で話し合わなければならず、こういう気持ちのままで話すのはいやだなと思った。しかし、私はこういう時には神様に全託する事にしている。我々の生命は本来自他一体であるから、お互い反目するなんて事は本来ナイのである。
 そうこうしている内に相手の言った言葉、即ち私が憤慨した言葉はその時の相手の状況からして、罪のない諧謔であったという事が自ずと分かってきた。私は相手の何てことはない冗談、軽口をその言葉通り受け取って、悪意に解釈していたと自ずと分かってきたのである。そうした時、相手を赦し、逆に相手の立場を思いやる様になる事が出来た。

 この世界は実は神の国であり、一つも悪とか矛盾とか非道はナイのである。しかし、それを観るこちらの心のレンズに歪みがあるとその完全円満の世界が歪んで色々の矛盾とか残酷とか悪とか非道に感じられるのである。
 私はその事に気がついた時、すぐ相手を赦す事が出来た。その相手は敵でも何でも無かったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-03 13:12 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(0)
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