実相は自分で出て来る(3)

 「実相は自分で出て来る。」これはかの偉大な榎本恵吾先生のお言葉である。この表現は生長の家の本には出て来ないので、榎本先生のお話を聞いた事の無い生長の家の人には耳慣れない表現だと思う。しかし、実相は正に自分で出て来るのである。
 実相がそもそも我々人間の刻苦勉励によって、実相世界から現象界に引き出されて来るものであるならば、感謝なんてものは無いのである。何故なら実相世界は無限供給、完全円満の素晴らしい世界であるが、それを実際の現象の収穫として引き出すには実相即ち神様のお陰ではなくて、我々人間の努力によるという事になると偉いのは我々人間であって、神様ではないという事になるからである。(この表現は誤解を生むと思うので補足しますがここで言う「人間」というのは所謂肉体我(にくたいが)の事です。)

 私は実は高校一年の時、生長の家の高校生練成会を受けてから、11年前の37歳に至るまでの26年間、ずうっとその考えで来たのである。その考えとは実相は自分の努力で掘り出さなければ使い物にならないという考えである。その考えに基づいて私はそれこそ、徹底してあらゆる事をやったのである。
 そして自分ほど生長の家をやっている人間はいないと自負していた。それは自分ほど偉いものは無いという傲慢と他の同志への軽蔑であった。しかし、その先に待っていたのはひどい強迫観念と不安による不眠症であった。何せ、この世界は自分が支えなくては、自分が救わなくてはならない世界であると思っていたから不安でたまらなかったのである。そこに感謝は無い、一切の神への感謝は無いのである。

 それを救って下さったのは榎本恵吾先生であった。先生は「実相は自分で出て来る。我(が)は要らない。」といつも仰っていた。そもそも我(が)というのは何かと言ったら、自分で強引に分かろうとかやろうとかする心の事である。そこには神への感謝は無いから神は無いのである。
 実相は自分で出て来るという事は具体的にどういう事かと言えば、我々が人生で色々経験して、そこから本当にこういう事は間違っていて、こういう事が正しい本来の事であると自分で気付く事である。それは何故気付くかと言ったら、我々の本体が神そのもの実相そのもの悟りそのものであるからである。その人生経験から自分で判断して自分で分かって行く事が真の悟りであり、それは谷口雅宣先生がよく仰る迷う自由のある中から、自己の自主的な選択で善を為すのが真の善であるという事である。

 私は自分の実相を自覚するという事は具体的に自分が既に与えられた美点、長所に気付き、感謝する事であるという事を悟ったのは私が自分の長所を無視して、短所ばかりを良くしようとする中、一向にうだつが上がらず、他人からも批判されたり、愚弄されたりする経験を積む中で、何で自分は自分の短所ばかり良くする事にやっきになっているのだろう、自分には既に他の人には無い多くの美点、長所が与えられているではないかと自分で気付く事によったのである。
 従って、私は自分の中の神に感謝するし、その悟りに気付かせるきっかけを与えてくれた私にきつい事を言ってくれた全ての人々に感謝し、そして、そもそもこうした真理を気付かせて下さった生長の家の教えにもそして教え親である谷口雅春先生にも、現在の総裁谷口清超先生、副総裁谷口雅宣先生にも心から感謝する気持ちに改めてなれたのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-04 13:11 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 道源秀実 at 2007-10-05 22:06 x
合掌ありがとうございます。
貴兄の素晴らしいブログを拝見し気づかせて頂いた事を書かせて下さい。貴兄は現象世界に実相世界を現す事に、大変希望を抱いておられます。 「実相は自分で出て来る。」との榎本先生のお言葉にも感激されていますね。しかし実相が現象世界に出てくれば、それは実相ではなく現象になると思うのですが、如何でしょうか。
Commented by koujihori at 2007-10-07 16:20
道源様

 お久しぶりです。お元気でしょうか。コメント有り難うございます。道源さんのご質問は中々難しいですね。私は生長の家で実相と現象は違うのだという事を学び、実相を現象に現す事に仰るとおり、やっきになっていました。でも榎本先生の薫陶により、現象はナイという事に真に気づかせて頂きました。従って、この世界は実相と実相が自ら出てくる事しかないという事にも気づかせて頂きました。実相が現象に現れると現象になるというのは確かにそうですが、現象はナイので、実相が実相するという事が現象に現れると仮に言う事も出来ると思います。
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