自分の人生は最も良い人生である。

 生長の家ではこの現象世界の奥に完全円満の実相世界があると教えられる。それでその完全円満の実相世界を現象世界に現す為に我々人間の念のレンズを清め、曇りのないまっすぐなものにしなくてはならないと説く。そこで、生長の家の人は一所懸命色々な行をやったりして自分の念を清めて、実相世界の完全円満さを現象世界に映し出そうとする。
 しかし、本当に実相の完全円満さを自覚するという事はこの自分の人生がそのまま神に導かれた素晴らしい人生で一つも間違いが無かった人生であると気がつく事である。何故ならば実相世界とは天空高くや遙か未来の先にあるのではなく、今、我々の居るここに足下に存在し、それは実は今、我々の前に拡がっているものであるからである。念のレンズが歪んでいると今、目の前に展開している実相世界が歪んだ矛盾に満ちたものに感じられるだけであり、今、我々の住んでいるここが実相世界である。それに気がつく事が念のレンズが清まるという事であり、悟るという事である。

 我々の人生は色々困難がある様に見えている。しかし、それが実に後から考えると自分の魂の生長に取って、有り難い必要な事ばかりであったと気がつくものである。要するに我々の人生は今、そのままで神に導かれた素晴らしい人生であるのであり、自分の判断は神の判断であったのである。従って、現在、如何なる困難が見えていようともそれは必ず何か意味がある事であり、将来の素晴らしい成就の為,無くてはならない必要な過程であり、かつその事で神様が自分にとても大切な事を教えて下さっているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-09 13:02 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by erica at 2007-10-09 20:08 x
>本当に実相の完全円満さを自覚するという事は(。。。)一つも間違いが無かった人生であると気がつく事である。
これが、この間指摘してくださった「本番は存在しない」と同じことですね。本番は存在しないから間違ったこともない。

>自分の人生がそのまま神に導かれた素晴らしい人生である。
これを悟ることで、はじめから幸せであったことが実感できますね。
私たち幸せですね。本当にありがたいです。

Commented by koujihori at 2007-10-09 21:07
ericaさん

 そうですね。僕達は始めから神であり、この人生はその神がただ出てきている人生なんですね。だから、どんな事でも長い目で見れば、全て良い事で真の実相顕現につながる為のものなんですよね。
Commented by 志村 宗春 at 2007-10-09 23:16 x
堀 浩二 様
堀 浩二 様のホームページは前々から拝見させて頂いていたのですが
、意見を書き込むのは中々オックウで、できませんでしたが、この度、
思い切っておこなうことにしました。
實相と現象の問題は、私達が日々の日常で常に直面する問題であり、
また、非常に重要な問題であります。
例えば車を運転している時、自分の価値判断(モノサシ)に照らし合わせて、変な運転(即ち、危ない運転)をしている人に遭遇した場合、コノヤロー(ヤローで無い場合もありますが)・フザケヤガッテと思うことがあります。
が、三界は唯心の所現というところからしますかと、それは、私の心の反映(影)ということができます。
つまり、自分の周りで起きる現象は全て自分の心の影ということなのです。
そのように教えられていても時と場合によっては、頭に来てしまうこともあります。私はまだまだ修行が足らないのかも知れませんが、自分の周りに不快な現象が起きないよう三正行に精進したいと思っているところです。
再拝
Commented by koujihori at 2007-10-10 09:00
志村さん

 コメント有り難うございました。お元気ですか?志村さんの所は竹村さんが教化部長なんですよね。何か隔世の感があります。

 僕なんか頭に来る事なんてしょっちゅうです。後で冷静になってみるとこれは自分の心の影と思いますが。
 僕は腹が立つのは取るに足らない事に引っ掛かるからだと最近分かりました。でも、不快な現象が教えてくれる事って沢山ありますよね。
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