困難に向かって行く

 「困難に戯れろ」とは生長の家の教えである。困難というものが我らを苦しめる我らとは別の具体的なものであるならば、困難はただ不幸で嫌なものであるが、困難というのは自己の完全円満の実相生命を磨き出す為に自己が自ら心の力で造り上げた練習台であるから、困難に苦しむのではなくて、困難に戯れろというのである。

 さて、我々人間は肉体ではなくて、その奥にある所の完全円満なる神の生命そのものであるとは生長の家の根本真理である。この人生はその完全円満さの素晴らしさを表現する為のものであるが、表現する為には訓練をしなければならない。しかもその訓練はいい加減なものではなくて、全力即ち命懸けの姿勢を要求されるのである。しかしながら、その為にはもう後がないという様な背水の陣を敷かなくてはどうしても全力を出す事は出来ないのである。その為に我らの人生には色々の困難が出て来るのである。それは人によって異なるがある人は不治と言われる病であったり、夫婦不調和であったり、経済苦であったりする。それらはそのままであればその人は絶体絶命の状態であるから、それを何とかしようとして全力を出すのである。

 そうした場合は本当に真剣に人生に向き合わざるを得ないが、ともすれば避けて通れる困難もあり、そうした自分に課せられた困難、問題を出来るだけ回避しようとする人もいる。
 例えば何かの試験やスポーツの試合などの試練を避けたり、仕事などでも目標などを特に定めないで適当にやってみたり、又はある人に会わなくてはならないのにその人が苦手だと言う事で会うのを避けてみたり、今勤めている職場で何か苦しいことがあると簡単にその職場を辞めてしまったりとその他、自分に取っての課題があるのにそれに敢えて向かって行こうとするのを避けて、逃げてばかりいる人がいる。
 しかし、そういう人は自分の魂の向上、能力の向上の機会をみずからつみ取っているのである。何故、逃げるかと言えば、自分は本当は無限力の神の生命であるという事を知らないからである。

 現象はどうであろうと自分が今、実相の生命においては完全円満、無限力であるという事を信じて、どんな困難にも逃げないで立ち向かって行く者はその困難を切り開く事が出来るのである。また、やって見て、その時、どうしてもそれが出来なかったとしてもそこで大切な事を教えられ、その中で自分の真の姿、即ち無限力に直かに触れる事が出来るのである。何故ならば、課題から逃げないで向かって行く姿勢の根底には自分の無限力を信ずる信念があるからである。 それによって、例え、その困難の状況において、満足の行く結果を出せなかったとしても、その後の普段の生活において、その時に直に感じた無限力を易しい所からじっくりと鍛えだして行く事が出来、その後、どんどん実力が上がって行くのである。その結果、自分としてはこの事は困難だ逃げ出したいと思う事に対しても自ずと悠々と楽々と出来る時が来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-18 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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