実相は自分で出て来る(6)

 実相は自分で出て来る。我(が)による工夫とか、励みによるのではない。私は以前、実相世界は完全円満であるが、この現象世界は自分の心が造るのであるから、自分の心がきちんとぶれなく、実相通りの立派な状態にしてなくてはならないと思っていたのである。だから、自分の心をコントロールしなければならないと常に思っていて、悪を思ったり、病気を思ったりしたらいけないと思っていた。
 それで常に戦々恐々としていたと言っても過言ではなかったのである。要するにそれは自分のさじ加減で自分及び自分を取り囲む世界がその通りになるのだから、そのさじ加減を少しでも間違えたり、失敗したりしてはいけないといつも緊張していたのである。しかし、結局、私は自分の心のコントロールに失敗し、奈落の底に落ちたのだった。コントロールに失敗したとは神を思って愛他的に生きるのではなく、利己的な事に心を引っ掛からせた為に転落したのである。

 しかし、転落したと思ったら、それは神の最大の導きであった。私は生長の家宇治別格本山に導かれ、そこで生涯最高の師、榎本恵吾先生に巡り会う事が出来た。そこで私は生長の家の神髄を先生から授けられ、実相顕現する事が出来たのである。
 私は実相世界は今、ここに無いと思って、自分が注意に注意を重ねて、自己を支える事によりやっと実相世界に近づけると思っていたのであり、しかし、それに失敗して転落した事により、今、そのままで自分が神の懐に抱かれていた事を悟ったのだった。要するに我々は自分の我(が)の努力や工夫によって神にしがみつこうとしなくても今、そのままで既に神に導かれ、抱かれていたのである。その事に気がつく事が実相完全円満を悟る事である。

 我々は自分でしがみつかなくても今、神の子であり、今、神の世界に住んでいて完全円満なのである。自分の心のさじ加減をちょっと間違えた位で本当に転落してしまうような存在ではないのである。それは実相顕現というのは自分の我(が)による心のコントロールの積み重ねによって成就するのではなく、神により、為されるという事であり、それを榎本先生は「実相は自分で出て来る」という言葉で表現されたのである。
 だから、それはすぐに出そうとして出て来るものではなく、様々な段階を追って出て来るのである。その段階の中では私の様に転落したと感じる事もある。従って、実相顕現は神に全託して、すぐに現象を良くしようと頑張らないで気長に今、やるべき事に全力で取り組み、自分の課題として与えられた事から決して目を背けない正面から向かって行く事が大事である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-10-25 12:32 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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