そのままでよい(8)

 私は今から15年位前、生長の家青年会で教区委員長というお役をさせて頂いた時、当時の青年会の女子部の一日研修会の講師を女子部長さんから依頼されてやった事がある。その当時は女子青年には可愛い子が多く、私は彼女らにいいところを見せようと万全の講話の準備をして行った。テキストは「第二青年の書」という生長の家創始者谷口雅春先生の大書でそれを前日の明け方五時までかかって一冊全部読破して、そして、完璧な原稿を作り上げた。そして、スーツはベージュのダブルで決めて行き、講話の盛り上がり部分から落としどころの決めぜりふまで考えて行った。当時の私は現在の様に中年太りしておらず、ロングヘアーでベージュのダブルのスーツで決めているとミュージシャンみたいだなんて言われた事もあるから、尚更、格好をつけて、いい所を見せようと力が入ったのである。
 そんなこんなで講話に臨んだが心配していた滑り出しは何とか上手く行き、さあ、これで最後まで決めるぞなんて思っていたら、ある部分で突然言葉が出てこなくなったのである。所謂、頭真っ白状態である。それは時間的には一分位だったろうが私には恐ろしく長い時間に感じられた。その後、私は原稿の棒読みをして、何とか講話を終えたが、講話はひどいものになり、私は穴があったら入りたい位恥ずかしい思いをしたのである。

 我々は完全円満、無限力である神の子である。それが生長の家の根本真理である。もちろん、それはこの現象の事ではない。現象は存在せず、それは単に我々の認識が映っているスクリーン、影に過ぎない。本当の世界ではないのである。言わば、我々が本当の世界というものを如何に見るかという認識が映っているだけの事である。

 だから、我々の本当の姿、現象の奥の実相というのは現象とは別のものであって、それは完全円満、無限力で永遠に死なない生命であるのである。それは全宇宙の本当の姿もこの現象宇宙の奥に完全円満な世界として存在するという事を意味する。それを神の国と言い、実相世界と生長の家では呼んでいる。

 現象は存在せず、その奥の完全円満な実相世界、神の国のみが存在する。それを認識しさえすれば、この現象世界もその完全さが出て来る。出て来るというか、我々のその「この世界は完全円満である」という認識が映るのである。

 それではこの世界が今、このままで完全円満であるのに、それを認識せず、この世界はこの現象世界の事であると思って、この世界は不完全だ、不幸だ、悲惨に満ちていると思っている人はその認識の通りに自らの念の作用により、不完全な不幸に満ちた世界を映し出す。それでますます、この世界は不幸だ、悪が沢山ある、こいつも悪い人間だ、あいつも病気だと思うのである。それで、あいつを懲らしめなくてはならないと思ったり、この人は可哀想な人だから、救わなくてはならないなんて思うのである。
 それが「ねばならぬ」という心の凝りであり、我(が)である。要するに現象世界は存在せず、本当の存在する世界は完全円満であり、それは今、既にここに存在するのであるから、「そのままでよい」のであり、その本当の世界を全宇宙の隅々まで完全に造って、調和した姿で運行している神様に全託すれば良いものを、それをそうでなくて、悪と不幸と病が満ちている世界だと思って、神様になんか任せられない、私が、オレが良くしなければならない、救わなくてはならないという心はそのままで完全円満(自性完全円満)の世界とおのれ自身を縛り付ける事になるのである。
 縛り付けると言っても本当の世界は完全円満であり、本当の人間は無限力であるから、本当に縛り付ける事は出来ないが、その本人が自分及び、この世界を不完全と見て、何とかしなくてはならないと思うとそれが自らを縛り付ける映像が現象として出て来る。それが病気であり、また色々な問題であり、能力が発揮出来ない不如意という姿が出て来るのである。その心こそが不安であり、恐怖であり、それこそ自己の生命の無限に伸びる力を自ら縛るものである。

 要するに何かをやろうとする時、上手くやろう、ちゃんとやろう、格好良くやろう、完全にやろうと我(が)が力むと今、そのままで完全円満な自己の生命を縛り、力がまるで発揮出来ないという事になるのである。いい話をしようと力むと逆に良い話は出来ないのである。そんなに我(が)が力まないで内なる神に全託すれば、我々の本体は真理そのものであるから、誰でも素晴らしい真理の講話が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-11-09 13:13 | 信仰 | Trackback | Comments(10)
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Commented by erica at 2007-11-09 21:06 x
>そんなに我(が)が力まないで内なる神に全託すれば、我々の本体は真理そのものであるから、誰でも素晴らしい真理の講話が出来るのである。
その通りだと思います。
谷口雅春先生が仰った通り、私達は「ラッパ」にならなければいけません。生長の家の講話などは講師が輝くためではなく、神様の声を直接聞き手に伝え、聞き手の神性を引き出すためであるから、講師である私たちには自分を「空っぽ」にすることが求められていますね。
Commented by 雨のようにやさしく at 2007-11-10 20:11 x
堀浩二さま、はじめまして☆
いつも拝読させていただいております。
私も今日緊張の講話をしたばかりなので、身につまされました(汗)。
有難うございました。
Commented by koujihori at 2007-11-11 18:24
ericaさん

 昨日は本当に有り難うございました。最後、いれなくてすいませんでした。
 それから、通訳、本当にお疲れ様でした。ericaさん、スペイン語も完璧なんですね。すごいですよね。ポルトガル語にスペイン語、英語、そして日本語と。これだけの言語をあやつれるのは心から尊敬致します。
 僕が思うに日本語という母音言語をしゃべる日本人に取って、英語などの子音言語は聞き取りに非常に苦労しますが、英語やポルトガル語を母国語にする人は日本語の持つちょっとしたニュアンスとか、言葉の使い方などを理解するのはさぞかし大変だろうなあと思います。ericaさんは僕のブログの文章の意味を理解して、日本語で議論出来るのですからすごいと思います。
 議論出来るだけじゃなくて、生長の家の真理の深い所まで理解されているし、本当に素晴らしいですね。
  
 昨日はericaさんとかその他のメンバーの雰囲気がとっても良くて、話を引き出して頂いた感じです。それにしても本当に講話は自分じゃなくて神様がして下さいますね。昨日はそれをより実感しました。
Commented by koujihori at 2007-11-11 18:26
雨のようにやさしく様

 コメント有り難うございました。これからも宜しくお願い致します。
Commented by erica at 2007-11-12 12:12 x
堀先生
先日誠にありがとうございました。素晴らしい御講話で参加者は大変喜んでおられました。
>それにしても本当に講話は自分じゃなくて神様がして下さいますね。昨日はそれをより実感しました。
ええ、神様がしてくださいます。ですが、神様がしてくださるためには「神に全託できる」堀さんの心が大事です。神様が自分を通して講話をなさったとの実感ができる堀さんは素晴らしいです。

>昨日はericaさんとかその他のメンバーの雰囲気がとっても良くて、話を引き出して頂いた感じです。
これからもよろしくお願いいたします。

Commented by erica at 2007-11-12 12:12 x
追伸:

>これだけの言語をあやつれるのは心から尊敬致します。
勿体ないお言葉、ありがとうございます。
日本語からスペイン語(私にとっては外国語から外国語へ)の通訳は初めてでしたが、話がとても面白くてスペイン語も自然に出てきて自分でも不思議に思いました。
ところで、「言語が多くできて、生長の家も理解している」という順番ではなくて、生長の家の勉強を続けてきたから言語を多くあやつれるようになったと思います。言語も「神に全託」ですね。なぜなら、言語は心の発送で、全世界の心はたった一つですから。ただ、その一つの心(神)を握ればいいのですね。

Commented by koujihori at 2007-11-12 16:46
>日本語からスペイン語(私にとっては外国語から外国語へ)の通訳は初めてでしたが、話がとても面白くてスペイン語も自然に出てきて自分でも不思議に思いました。

やっぱり神様が何でもやって下さるんですね。僕には外国語から外国語への通訳なんて想像つきませんが、神様なら出来るんですね。でもやっぱりericaさん、すごいですよ。
Commented by erica at 2007-11-13 10:33 x
ありがとうございます。
でも、そんな大したものではないですよ。日本語は子供の時から聞いているし、私のスペイン語はポルトガル語をベースにした portonhol(ポルトガル語とスペイン語を混合したもの(笑))ですから。
Commented by Rosana  at 2007-11-13 11:46 x
私はスペイン語誌友会の肥後ロサナです(たぶん覚えていないかもしれませんがericaさんの隣に座っていました)。先週の土曜日の興味深いご講話をもっともっと聞きたかったのです、みんなもそう思いました。
私は11年間に日本で生活して、日本語を勉強しても、話すことと何かを日本語で書く自信がなかなか出てきませんでした(先生のご講話を聞くまで)、ですからこの前英語に関しての先生の気持ち、その信仰による解決そして”今、たて!”ということを聞いたときに私も今たとう!と思もいました。今日も今たて!を実行して、ここにコメントを書かせていただいています。 堀先生のなかにいる神様、ありがとうございます!Muchas Gracias!
Commented by koujihori at 2007-11-13 14:51
Rosana様

 コメント有り難うございました。最後にお礼を持ってきて下さった方ですよね?覚えてますよ。清らかな感じのする、瞳の綺麗なお若い方ですよね。

 私の話がお役にたてて、何よりです。
 仰る通り、我々は今、たった今、神であり、完全円満であり、無限力ですね。それを知ってこそ、無限生長があります。まだ駄目だ、まだ駄目だなんて思っていればその思い通り、中々良くなりませんね。
 これからも宜しくお願い致します
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