御利益信仰

 生長の家に入ったら、即、何も問題の無い、表面的に幸福な状態になるなんて事は無い。そんな事を考えるのは虫が良すぎるのである。(御利益みたいに見えるのはそれはその人を生長の家の道に導く為の神様が用意されたおもちゃである。)

 生長の家は御利益信仰ではない。御本尊とやらを拝んだり、献金しさえすれば、その見返りとして、幸福に、豊かになるなんてものではないのである。

 生長の家に御本尊など無い。あるとすればそれは自分の中にある生命の実相である。そして、それを発見する求道の道は決して、安易で容易な道ではない。
 生長の家に入るとはもっと峻厳なものである。峻厳な求道の道に入るという事である。そうした中では病気になったり、離婚したりする事もある。求道、生長とは何も問題が無くて、のんきにのらくらと浮き世の楽しみに身をやつすという事ではない。生長の家に入ったが故により峻厳な人生に入るという事である。そこでは忍耐と持続心と火の出るような真摯さが要求される。しかし、その先にあるものは実相独在のこの上ない常楽の境地である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-11-14 12:21 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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