神の国は我が内にあり(2)

 我らは誰でも理想的な社会を欲する。会社その他の組織に属していれば、理想的な会社組織を模索するだろう。真面目な人は特にそうだと思う。しかし、その理想社会を模索するに当たって、人間観、世界観という事が大変重要になって来る。理想国家を目指して純粋な愛国心に燃える青年が決起しても、そのやり方が暴力革命的なやり方であったら、挫折するのである。

 革命というのは神の国即ち理想世界を外に求め、悪をありとして強引に力でもって、神の国を建設しようとする行為である。それに対して、光明化運動というのは今、そのままで万物の内側の神性を見つめ、長所を讃嘆する事により、神の国を拝み出す運動である。
 神の国は我が内にあり。神の国を外に求めようとするから駄目なのである。神の国を外に求めようとするから、あの時、あいつがあんな事を言いやがった、やりやがったと憤慨し、憎み、その相手をやっつけるなんて事になるのである。しかし、それは相手の悪を認め、そして、その相手が非難し、愚弄した所の自分の落ち度までも認めているのである。
 現象という外の世界に理想世界を求めてもそれは徒労に終わる。現象即ち外の世界はナイのである。神の国、真の理想世界は今、ここ、我らの内にある。既にそれはあるのである。それを見つめて、国とか組織とか上司とかその他の人の良い点を見つめ、感謝する中でそれを祈り出すのが生長の家の人類光明化運動である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-11-21 13:12 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by うっち~まま at 2007-11-21 14:28 x
合掌ありがとうございます

先日はsophyさんのブログでのご指導、ありがとうございました。
「実相は自分ででてくる」とのお言葉いつも心にもって歩いています。

>組織とか上司とかその他の人の良い点を見つめ、感謝する中でそれを祈り出すのが生長の家の人類光明化運動である。

色々失敗して、私が現在、特に心がけている点です。でも組織活動の中で、言うべき事をいわないのも、不行動というか、するべきことをしていないような気持ちがいたします。需要なのは言い方だと思っているのですが・・・・・その言い方が私は未熟なために、言うべきことが言えないままだったり、でも生来黙っていられないたちなので、うっかり言い過ぎたりしております。
Commented by koujihori at 2007-11-21 17:47
うっち~まま様

>「実相は自分ででてくる」とのお言葉いつも心にもって歩いています。

 有り難うございます。この言葉は榎本恵吾先生のお言葉です。これはちょっと、生長の家の人に取っては慣れない表現だと思います。でも、生長の家の神髄を突き詰めるとそういう事になるんです。何故なら、招神歌にあるように「吾が生くる吾が力ならず。天地を貫きて生きる祖神の生命」とあるように我らが生き、活動するのは我らの我(が)がするのではなくて、我が内の神に生かされて生き、かつ活動出来るから、実相の顕現も実相即ち神の御力で出来るという事、即ち実相は自分で出て来るという事になるんです。そこにこそ感謝がありますね。それを全託とも言うのです。

>でも組織活動の中で、言うべき事をいわないのも、不行動というか、するべきことをしていないような気持ちがいたします。

 そうですね。でも神様に全託しておれば、自分ではなくて神様が何でもやって下さいますから、その内側からの導きに従って、言うべき事を言い、やるべき事をやればいいですね。それは神の国を外に求めるのではなくて、既に内側にありと言う自覚のなせる技ですね。
Commented by ゆきえ at 2007-11-22 09:26 x
今、教区の環境がたいへん混乱しております。が、まったく心配していません。「実相は自分ででてくる」おかげさまで私もこの言葉が魂に沁みこんだようです。ありがとうございます。
Commented by koujihori at 2007-11-22 09:48
幸江さん

 どうしたんでしょうか?詳しい事は分かりませんが、何があっても、魂の勉強であり、実相が自分で出て来る過程ですね。これが分かれば、何も恐いものは無いと思います。

 それが幸江さんも体得されておられる様ですね。幸江さんの様な方がいれば貴教区は大丈夫ですよ。
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