赤ちゃんに殴られる

 腹が立つのは良くない事である。それも一時ならまだ良いが、何時までも継続して、恨み、腹立ちを抱き続けるのは良くない。何かことある毎にあの時、あいつにあんな事を言われた、された、くやしい、仕返しをしてやりたいと思い出し、むかむかするのである。でも、生長の家は人を恨んだり、憎んだりし続けるとやがて病気になると言われる。
 怒りの感情は言葉に出して、怒りを現したらそれですっきりするかと言ったらそうではなくて、そうすると言葉の力によって、その怒りの感情がより増幅されてしまうし、それならその怒りの感情を表現せずに我慢しておれば良いのかと言うと、やはり、その表現されざる恨みの感情、怒りの心は「腹ふくるるわざなり」という事でそれが心の底深く潜行し蓄積されて、やがて、病気になるとやはり「生命の実相」にある。

 それならどうしたら良いかと言ったら、腹が立たないようにならなくてはならないと生長の家では教えている。腹が立たなくなるのは憎しみの感情の反対の感謝の感情を引き出すと良いと言われる。だから、「有り難う御座います。私はあなたを赦しました。」という生長の家の「和解の祈り」をするのも一つの方法であろう。

 しかし、もっと根本的な腹の立たないコツは自己の生命の実相がこのままでなにものにも傷付けられる事の無い偉大なものであるという事を悟る以外無いのである。
 腹が立つのは相手の無礼な言葉や行いによって、自分が傷つけられるかも知れぬという恐怖があるからである。自分が外部から何をされても押しも押されもしない完全円満なる神の生命であると悟ったら、相手に何を言われようが、されようがそれは丁度、赤ちゃんに頬を殴られた様なものだと生長の家では教えている。

 我々はたった今、神の子であり、神の子であるという事はそのままで完全円満、無限力、無限健康、無限供給の生命なのである。出来なかったり、失敗したり、乏しかったり、病気などというものはたった今、一切、針の先といえども我らに無関係な事なのである。
 実相は完全円満、無限健康だが、現象の肉体はまだ自壊作用が残っておりまして、まだ完全に治っておりません、実相の生命は無限力ですが、現象の自分はまだ力不足で下手で出来ませんなんて事は無いのである。現象はナイと我らは教えられているのである。現象がナイとは不完全な肉体、病気、まだ出来ない自分もたった今、ナイという事である。
 それが神の子完全円満を本当に自覚するという事である。そうなった時、誰に何を言われようとどうされようとそんなもの赤ちゃんに平手打ちされた様なものである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-11-27 13:30 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented by ゆきえ at 2007-11-27 16:10 x
赤ちゃんから頬を叩かれたのなら、かわいくて許せちゃいますね。 
Commented by koujihori at 2007-11-27 23:17
幸江さん

 短い御文章にとても深い意味が隠されている様ですね。
Commented by ゆきえ at 2007-11-28 01:05 x
いえいえ、子供たちのちいさな頃をおもいだしただけですよ。って、事にしときます♪
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