悦びでやる

 今から十数年前、生長の家の私の属する教区の知り合いのある女子青年が生長の家の宇治別格本山に練成を受けに行った時の事であるが、彼女は当時、宇治別格本山の練成部次長をされていた榎本恵吾先生の説く教えに痛く感動して帰って来た。

 彼女は生長の家を真面目に行じていたので、生長の家の行とか活動を一所懸命やっていたのだが、何とも疲れてしまっていたのだと言う。それで信仰のリフレッシュ化を図ろうと宇治の生長の家練成会に参加したのだが、そこで榎本恵吾先生に指導されて、すっかり元気を取り戻して帰ってきた。
 それはどういう事かと言うと、生長の家であれをしなさい、これをしなさいと言う事、即ち神想観とか聖経読誦とか先祖供養とか愛行とか活動とか色々あるが、それをこれをしなければ駄目であると思って、これでもか、これでもかと言うことで必要以上に自分に課すとそれは悦びで無くなってしまうというのである。
 彼女はこれらの行をきちんと完璧にやらないと自分は不完全なままであり、神様から赦されない存在であると思っていたのである。しかし、それを榎本先生に諭され、「あなたは今、そのままで完全円満の神の子なんですよ。(※念の為、補足しますがそれは肉体としてのあなたという事ではなく、肉体の奥の本当の実相としてのあなたという意味です。不完全な現象の肉体はアル様に見えてナイというのが生長の家の教えです。)神様からそのままで百点満点の神の子として祝福されているのですよ。だから、そのままでよいのですよ。祈ったり、愛行したり、聖典を読んだりするのは不完全なあなたの生命が完全になる為にするのではなく、元々完全円満のあなたの生命がより、素晴らしい事をする為にするものなんだよ。」と教えられたそうである。
 彼女はこのご指導ですっかり気が楽になり、それからは悦びで何でも出来る様になったと言っていた。

 生長の家ではよく、悦びの運動と言う事が提唱される。それで講習会とか全国大会とかの決起大会で、目標数達成頑張るぞーとか気勢を上げるが、それだけだときついので、笑いの練習とかを入れたりする。笑いの練習はやらないよりやった方がいいだろうが、本当の悦びの運動というのは笑いの練習をしたらそうなるというものでもない。
 本当の悦びの運動というものは先の榎本先生の教えの通り、これをやらなくても今、そのままで全ての人は完全円満、救われ済みであるが、この教えが素晴らしいからそれを嬉しくて一人でも多くの人に伝えずにはおれないというものなのである。

 悦びでやる事が大事である。これをしなければならないではなくて、これを是非やりたいと思う事である。それはこれをするのが悦びであり、成就した暁には今より一層、素晴らしい事になるという夢であり、希望である。それは駄目なものを良くしなければならないという事ではなくて、元々既に良いものを更に良くして行きたいという創作意欲である。
 それは他から強制されるものではなくて、内側からの自主性でやるという事であり、それは我が内の神がなさる事であり、それが私がいつもここで言う所の榎本先生から私が教えて頂いた「実相が自分で出て来る。」という事である。そして、それが谷口雅宣先生がよく講話で仰る真の善行である。

堀 浩二
 
by koujihori | 2007-12-04 13:17 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from おしりかじりむし at 2007-12-06 23:12
タイトル : おしりかじりむし
おしりかじりむし・おしりかじり虫... more
Commented by うっち~まま at 2007-12-06 17:27 x
私のことのようです。

悦ばなければ、楽しまなければ、とつい、○○しなければ、と考えてしまっています。

本当の自分をみて、ああ、嬉しいな~。楽しいな~って、言ったらそれでいいんですよね。
Commented by koujihori at 2007-12-07 09:29
うっち~まま様

 コメント有り難う御座います。本当の悦びっていうのは自分がやらなくてはと思う所には無くて、全ての存在が今、そのままで神に生かされ、導かれ、救われているという事を認め、拝み、安心する所から出て来ます。そうすると伝えなくてはならないではなくて、伝えたくて仕方がないという事になります。それが本当の悦びの運動ですし、そこから本当の笑顔が出て来ます。
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