講話は神が行う

 私は生長の家の地方講師である。生長の家では生長の家の真理を説き、伝える講師がおり、それには本部講師と地方講師がいる。
 本部講師は本部職員の講師であり、言わばプロとしての講師であるが、本部職員でない、普通の職業を持っている生長の家の信徒からなる講師は地方講師と呼ばれ、言わば、アマチュア講師である。

講師となれば、本部講師だろうが、地方講師だろうが、それは生長の家総裁・副総裁の名代として、講話に臨むのである。要するに生長の家の講師の試験をパスし、生長の家の講師になった者は講演会とか練成会とか誌友会とかで講話をする時はもう、何の誰兵衛という個人が行うのではなくて、その人は単なる神様のラッパと言おうか、パイプとなるのみであり、実際の講話は生長の家の神様が行うのである。
 従って、誌友会とかに誰々さんを講師として迎えた以上はその人が自分より年下であろうが後輩であろうがそんな事は関係無く、その場では師として奉って、その教えを拝聴する心構えが必要である。

ところでこの講話だが、これが中々難しい。しゃべり慣れている人はいいかというとそうでも無いのである。講話は大体、毎回約一時間が相場だが、これをやるのは中々大変なのである。
 だから、大抵、テキストである生長の家の聖典を題材にその一節をちょっと読んだりして、その解説をしたりするが、人間は神の子であるとか病気はナイとかこの世界は思ったら、思った通りになるとかの生長の家の真理を理論的に話すだけだと聞き手が飽きるので、その講師の体験談を話す事が多い。そうするとその体験談というのはその人の真理の体験であるから、真理を理論的にああだこうだ聞くより、余程生きた真理の実例として、聞き手の心を打つのである。

 さて、私などは講話をする時は毎回、真剣にならざるを得ない。何故ならば、聖典にこういう事が書いてありますとかそんな人ごとみたいに生長の家の真理を説く事は出来ず、自分のものとして話をしなくてはならないと思っているからである。その点、体験談などは自分の言葉で自分の生きた体験を話すのであるから、それは生きた話であり、それだから聞き手の心を打つのであるが、生長の家講師たるもの本当は生長の家の根本教義を自分の言葉で生きた真理として語らなくてはならないのである。
 生長の家の本にこう書いてありますとか生長の家では人間は神の子で無限力であると言うそうですなんて生長の家の真理を人ごとみたいに語ってはならない。
 
 私は講話に臨む時は一応、テキスト等に目を通して、何を話すかを考え、大ざっぱな原稿を作る。しかし、講話が始まったら、その原稿さえも捨て、自分の中のインスピレーションに百%従って、講話をする。それが、真にラッパとなることである。
 要するに私は講話は一切、自分の中の神様にお任せしているのである。その事をまだ悟らなかった以前の私は講話に臨む際、講話時間の一時間を持たせる為にそれは入念な準備をしたものである。テキストを隅から隅まで読んで、その上で完璧な原稿を作って行ったのである。それを何度も読んで、完全に自分の頭にたたき込んでいないともし、講話中に喋れなくなったらどうしようと思って、それは講話の準備に余念が無かったものである。しかし、それ程、準備しても講話中に頭が真っ白になってしまって、沈黙してしまった経験が数回あった。そうした経験を重ねて行く内に講話はでくの坊の自分、真理を知らない自分に我(が)で頑張って、真理を懸命に注入して、覚え込ませて、何とか一時間持たせて、するのではなく、元々自分の中にある神なる真理が自ずと説くものであるという事が分かったのである。
 要するに自分以外のテキストとか原稿とかそんなものに頼るのではなく、自分の中にこそ真理があると信じて、そこにのみ百%頼るしか生長の家の講話をする事は出来ないのである。

 それは裏を返せば、あれこれ心配しなくても講話は自分の中の神が完全にして下さるという事である。
 私は先日、ある誌友会に出講に行き、一時間位講話したが、いつもの様に内側からのインスピレーションに従って、話していたが、その中で日頃、考えていても中々分からなかった真理が期せずして、自分の口から説かれていたのを発見した。
 私は自分の言葉に教えられたのである。講話とはかくも自分がするのではなく、自分の中の神が百%して下さるものであり、それを自分がまた、拝聴してそれに教えられるものである。
 そして、本当は講話に限らず、我々が生きているのは実は我々が生きているのではない、神が吾をしてここに生きているのである。そこに全託の信仰がある。

堀 浩二
by koujihori | 2007-12-10 16:15 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/6712173
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by いろどりひかる☆ at 2007-12-11 00:13 x
ありがとうございます。
いつも有難く拝見しております。いつも「ほぉ〜」と感心するばかりだったのですが、今日の記事は、まるで私の為に書いてくださったかのように思えて〜思わずコメントさせていただきました。

今週の金曜日、教区の練成会で50分の講話を受け持ちます。
「どうしよう、どうしよう」とオロオロしておりましたが、今日の堀さまの記事で〜目が覚めました。
そうでしたね、「講話は神さまが行う」のでしたね。とんだ勘違いをしておりました。
気づかせてくださってありがとうございます。御礼を申し上げたくてコメントさせていただきました。
Commented by ゆきえ at 2007-12-11 00:20 x
明日は出講です。神様のお出ましに感謝して悦んでさせていただきます。 

実はちょっと…きついなあ、やすみたいなあ…と思いかけていました。そんなに私ががんばらなくてもなあ…と。でも、出講の連絡をいただくと、ハイ!ヨロコンデ!と答えてる自分がいました。自分の中の神が出てくるんですね。明日は私も神様にご指導をいただける有難い日です。大切な一日に感謝です。
Commented by yutaka★hajime♪ at 2007-12-11 01:07 x
僕には、講師資格がありませんが、来年2月に受験予定です。
さらに、神想観でこの事を願う時、既に自分が練成会などで講話している姿をありありと描きます。
そんな僕にとって、堀先輩の記事は、共通の考えを持った方が現役で活躍中である事を知った、大いなる喜びでした。ありがとうございます。
また、講話する機会がなくとも、体験談や座談会などでの発言の際に、自分の実体験に基づいた気持ちある言葉を、なるべく多く発せられるように心がけています。
僕も早く、堀講師のような体験を通じて、経験を積み重ねてまいりたいと想います。

yutaka★hajime♪拝^^
Commented by koujihori at 2007-12-11 09:17
いろどりひかる☆様

 コメント有り難うございました。お役に立ててなによりです。生長の家の講話をさせて頂くという事は我が内に神があり、それに全面的に生かされているという生長の家の神髄を肌で勉強させて頂く絶好の機会ですね。
 でも、失敗してもいいんですよね。それも勉強ですから。うまくやろうなんて考えないで思い切り失敗しようと思う位でいいんですよ。

幸江さん

 きついなあーって思う気持ち、良く分かります。でも、色々なお勤めは結局、神様がして下さるんですね。ハイ!ヨロコンデ!は神様のお声ですよね。

yutaka★hajime様

 講師受験頑張って下さい。光実の試験でしょうか?今は昔と違って、難しくなっているみたいですね。でもあなたの様なしっかりした方は多分、合格するでしょうし、してもらいたいです。神様の栄えを顕す為に頑張って下さい。どんな経験も全て栄養になりますよ。

 
Commented by しじみ at 2007-12-13 19:37 x
堀先生
私のブログもリンクを貼ってくださったのですね。
嬉しいです!

今回の記事。今の私の心にもど真ん中の記事でした。
出講、学習会での発表など、様々な機会をいただく日々。
ついつい、頭でこうしようああしようと考える自分がいる。
「神様のラッパ」となりきる。
肝に銘じてまいります。

堀先生ありがとうございます!
明日の練成の運営も、神様とともに行って参ります!

<< 希望 生長の家とは何か(7) >>