堅信

 生長の家の聖歌に「堅信歌」という歌がある。我々は生長の家の信仰を持つのにこの堅信である事が要求されるのである。
久遠生命の神示にも「吾が臨(きた)れるは物のためではない。生命のためである。肉のためではない。霊のためである。これを覚るものは少ない。物の生滅に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失い、身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起こったと云っては信仰を失うが如きは神を信じているのはなく、物を信じているのである。」と示されているが、この様に現象や肉体の状態がいい時に「幸せだ、自分は無限力だ、有り難い。」と思っていても、一旦、現象が調子が悪くなり、病気になったり、失敗したりしたら、途端に「自分はもう駄目だ」とか、「神は無い」とか言って、悲観して、諦めて、信仰を失うのはそれは物質とか現象を信じているのであって、物質や現象をあるべき状態にあらしめているその奥の唯一絶対なる完全円満なる神を信じているのではないという事なのである。

 私もたまに肉体の調子が悪くなる時があるのである。先週は土曜日に相愛会壮年層勉強会、それと日曜日は誌友会があり、両方とも私が責任者であるので、毎回、対象者に参加のお誘いをするのだが、木曜日の夜の時点で壮年層勉強会の方は参加確定者が4人、誌友会の方は私と妻を入れて3人であった。壮年層勉強会は教化部長直々に御指導下さるので、最低10人近く呼ばないと申し訳無いと言うか格好つかないし、誌友会もいつも参加して下さる方が法事という事で参加出来ず、こちらも講師の先生に申し訳無い思いで一杯であった。
 両方の行事がそんな事でダブルパンチであったので私は焦った。一種、蟻地獄の様な感じがしたのである。そうしたらその夜は中々寝付けず、翌日の金曜日も床に入っても寝たのだかどうだか分からない様な状態であった。従って、翌日の土曜は朝から疲れており、気持ちが高揚せず、ちょっと鬱状態になってしまったのである。私は内心焦った。これはもしかしたら昔の不眠症が再発してしまったのではないかと。
 そんな事で土曜日はかなり落ち込んでいたのである。しかし、私は冒頭に書いた「久遠生命の神示」を思い出し、「肉体がちょっと調子悪くなった位で何だ。私は今、そのままで完全円満の神の子ではないか。肉体はナイ、現象はナイとあれほど人には言っておきながら、自分の肉体が調子を崩した位で落ち込む事はない。私は霊であり、生命であり、肉体ではない。」とひたすら思った。そして、後は神様に全部お任せしたのである。そうしたらその日の午後にあった壮年層勉強会は来れるか来れないか分からないと言っていた人が続々来てくれて、結局、10名の参加になった。その時、自分があくせくしなくてもやっぱり神様が呼んで下さるんだなと思った。
 その後、夜には息子の高校の父兄の集まりの忘年会があり、そこでも自分の調子の悪いのを忘れ、楽しんだ。そして、その晩はぐっすり眠ったのである。
 
 私は今回の経験により自分の信仰をより堅い堅信にする事が出来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-12-17 13:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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