生長の家の真理は自分の中にある。

 生長の家の本は素晴らしい。それは色々、有り難い真理が書かれており、生長の家の本を何の気無しに開けたら、その時の自分に取って、丁度、一番必要な事が書かれていたという経験を持っている生長の家の人はけっこういるのではないか。
 生長の家の本、所謂、聖典は沢山あり、生長の家創始者谷口雅春先生はその著作数の多さでギネスブックに載っているそうであり、それほどの聖典を生涯に渡って、著された。その生長の家の本の根幹を成すのは「生命の実相」全40巻である。これを読んだ日本人は数知れず、隠れたベストセラーと言われている。
 ところでこの「生命の実相」を始めとする生長の家の聖典だが、これは要するに「人間は神の子で完全円満である。物質はナイ。」という生長の家の根本真理をとどのつまり説いているのである。即ち、「生命の実相」全40巻はこの「人間は神の子で完全円満であって、物質はナイ」という究極の真理を説く為にありとあらゆる言葉の芸術を駆使して、書かれており、それを全40巻繰り返し精読する事により、その読み手がその生長の家の根本真理を理解出来る様に出来ているのである。色々な話、比喩、方便を駆使して、たった一つの真理「人間は神の子で完全円満であって、物質はナイ」という事を悟らせる為に書かれている。
 だから、それは真理の壮大な曼荼羅である。しかし、その「生命の実相」の本に出て来る色々な話、比喩、方便そのものにとらわれてはならないのである。生長の家の本を読んで救われる人は沢山いるが、中にはそこに書いてある事にとらわれて過去の自分を責めてみたり、落ち込んだり、又はこうしなくちゃならんと言って、家族に聖典に書いてある事を強要する人もいる。それは「生命の実相」の本に記された真理の一つの型にとらわれているのである。

 真理の一つの現れにとらわれるな。真理は無限なるが故に無限の現れ方をするのである。だから、一つの型にとらわれてはならない。即ち聖典に書かれている真理の一つの表現にもとらわれてはならないのである。
 その為には真理の表現ではなくて、真理そのものをつかまなくてはならないのである。それには自分の中に真理を見出さなくてはならないのである。自分の中に生長の家の真理がある事を自覚しなければならないのである。それが神の国は我が内にありという事である。
 
堀 浩二
by koujihori | 2007-12-18 13:05 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from どんな味かな。Befor.. at 2008-01-08 15:26
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Commented by erica at 2007-12-18 15:10 x
>自分の中に生長の家の真理がある事を自覚しなければならないのである。それが神の国は我が内にありという事である。

その通りだと思います。ただし、そこで非常に大事なのは自分の中にある真理にどれだけ素直になれるかであると思います。「我」を膨らませて内なる真理で物事を説いているなら真理ではなくなってしまいますね。
要するに、自分の中にある生長の家、我が内にある神の国は「私」の国ではなく、全世界を造られた大いなる神の国であると悟ることが必要ですね。それができれば、何に対しても執着せず、特定の表現に捕らわれなくなると思います。
Commented by koujihori at 2007-12-18 17:19
ericaさん

 この間は有り難うございました。
 
 確かに仰る通り、自分の中の真理に素直になるという事は本当に大事ですね。それが自分の本当の声に従うって言う事ですね。遊びに行くか、生長の家の行事に行くかって選択も究極の選択ですね。こんな時、自分の本当の声、神の声に従う事が大事と言われています。

 でも、僕が榎本恵吾先生に教わった事は自分の願いが我(が)の願いではないかって悩む必要は無いという事でした。要するに自分はこういう願い、例えば僕は単純にテニスに強くなりたいとか英語をマスターしたいって言う願いがありますが、昔の僕は「これはまだ自分の心が清まっていないから我(が)の願いに違いない。もっと心を清めて、神の願いが自分の願いになるように精進しなくてはならない」って思ってましたけど、それは間違いで今の自分のありのままの願いがそのまま神の願いだって分かりました。要するにこれから心を清めて神になるんじゃなくて、今、そのままの自分が神ですから。
 だから、僕は素直に自分のやりたい事をばんばんやっているんです。そうしたら、自ずと神様の御用、お役に立っていたって事が分かりました。
Commented by erica at 2007-12-18 23:06 x
>自分の願いが我(が)の願いではないかって悩む必要は無いという事.
榎本先生が仰ることも本当だと思います。自分の真の願いは神そのままの願いですから。その真の願いに従わないで他の事をやらなければいけないのじゃないかという心配事が堀先生の場合は我の願いだったと榎本先生は感じられたのではないかと思います。
例え、人を救わないといけないからと思って自分が本当にやりたいことをやれば罪悪感を感じるのは、神に従っているのではなく、表現に捕らわれていると一緒です。人を救うのは尊いことですが、本来皆神の子完全円満であるため、自分だけが偉い人(生長の家を知っているから)で人を救わないといけないという心配は迷いであります。
神の子は皆素晴らしいから本当に自分が好きなことをやればそれで神の表現が十分にできろと信じています。なぜなら、神様は多様性でもあるから。しかし、世間や多くのことに捕らわれ、真の願いに従える人は非常に少ないと思います。
堀先生はそれができて、素晴らしいです。
Commented by koujihori at 2007-12-19 09:12
ericaさん

 >例え、人を救わないといけないからと思って自分が本当にやりたいことをやれば罪悪感を感じるのは、神に従っているのではなく、表現に捕らわれていると一緒です。

 僕は実は以前、人を救わなくてならない、一刻もその為に無駄にしてはならない、英会話だのテニスだのと考えるのは利己主義ではないかっていう事でそれこそ死ぬ程悩みました。不眠症にもなりました。でも、僕は榎本先生の薫陶(おしえ)により、全ての人類が既に救われ済みだって言う事が分かりました。それまでは自分が人類を救ってやるつもりでしたから拝んでおらず、まだ救われていない凡夫(仕方の無い人)と思って、蔑んでいたのですね。
 全ての人類が既に救われていると拝んでいるから安心出来るし、だから、自分の本当にやりたい事も安心して出来る訳です。それで自分の真にやりたい事をやって行ったらそれが結果的に神の栄えを顕し、多くの人に悦んでもらえる事が出来てたって訳です。
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