生長の家は神が伝えて下さる。

 私は生長の家の信徒である。大学2年の時、生長の家の本ばかり読んでいたが、自分で読むばかりでは駄目でこの尊い教えを他人に伝えなくてはならないと思い、生長の家青年会に入ったのである。
 その後、組織運動に打ち込み、「第一のものを第一にする」という考えで神様の御用を第一にするという生き方をして来た。そして、組織運動で数ばかり追っている様では真の愛行にはならないと思い、日常生活における伝道を大切にした。会社の同僚とか友人とか親戚に普及誌とかを機会ある毎に渡した。また、知り合いで癌だのノイローゼだのという人が居たら、積極的に訪問して、生長の家の本を渡した。相手の為に聖経「甘露の法雨」をさらしに写経して、渡した事も数回ある。それがけっこう大変で一文字を書く毎に「有り難う御座います」を三回唱えるのである。

 これほど伝道に一所懸命になったのはこの生長の家の教えを万人に伝える事が何よりも大事な急務であると心の底から信じていたからである。それは今も変わらないが。
 だが、当時の私、10年前までの私はそれを自分がやらなくてはならないと思っていたのである。いくら人間神の子と言っても、現実に目の前にそれを知らないで苦しんでいる人がいるなら、そして、人間神の子無限力という生長の家の真理を知れば、そこから救われると分かっているなら、それを相手に伝えないで手をこまねいている事は当時の私には到底、出来なかった。
 しかし、それをやっている内に私は心の平和を失っていったのである。常に私が私がと思っていたので、それが心の重荷というか強迫観念になってしまったのである。それで夜も眠れない様になってしまった。
 しかし、それがきっかけで私は宇治の榎本恵吾先生の元に導かれ、自分の中に神の国があり、全ての人類は既に救われ済みであると悟る事が出来た。そして、私の強迫観念は消え、不眠症も治ったのである。

 それからは私は人類を既に救われている神の子であると拝む事が出来る様になった。しかし、それで何もしないかと言うとそうではない。私は今、ここがそのままで神の国であって、物質はナイ、病はナイ、悪はナイという事が分かったら、嬉しくて、以前の百倍は活動的になった。
 生長の家の組織運動も以前に増してバリバリ出来る様になり、現在は教区の相愛会副連合会長をやり、壮年対策部長などやって、生き生きと活動させて頂いている。そして、この様に悦びで生長の家の真理の悦びを語るブログなども立ち上げさせて頂いてもう2年近くになる。
 
 私は現在は会社とか友人関係で普及誌を片手に相手を追い回す様な事は一切していない。相手は既に救われている神の子であると悟ったからである。そして、伝道は私ではなくて、神がして下さるという事が分かったからである。
 そうしていると自ずと生長の家を伝える機会が与えられる。私はそういう時は臆面もなく生長の家の名前を出すし、宣伝もする。そうする中、早朝野球で知り合った友人は今や私の地区の相愛会の副会長だし、その他の野球の仲間にもこのブログを通じて生長の家は伝わっているし、また会社の取引先の相手にもテニスの仲間にも自然と生長の家は伝わりつつある。

堀 浩二
by koujihori | 2007-12-21 13:01 | 信仰 | Trackback | Comments(6)
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Commented by erica at 2007-12-21 23:34 x
堀さん
素晴らしい体験ですね。

>私は今、ここがそのままで神の国であって、物質はナイ、病はナイ、悪はナイという事が分かったら、嬉しくて、以前の百倍は活動的になった。

生長の家でいう愛行とは愛の行いと解釈できると思うんですが、愛を持って行えれば義務感は不要ですね。また、義務感ではなく愛そのものが行いの動機であれば、行いができること自体が感謝のもとになりますね。
だから、人類が既に救われていると悟ると義務感は消え、愛のみで愛行を行うようになるから、それを喜んで何倍もできるようになるのですね。
生長の家伝道活動の尊さを改めて実感しました。
Commented by koujihori at 2007-12-23 21:49
ericaさん

 >だから、人類が既に救われていると悟ると義務感は消え、愛のみで愛行を行うようになるから、それを喜んで何倍もできるようになるのですねそうですね。

 その通りです。僕はこのようになれた事に本当に感謝一杯です。でも、そうなる前に義務感で苦しんだ事も必要な課程だったと思います。だから、人生何も悪い事は無いと思います。榎本恵吾先生は僕のその悩み(人を救わなくてはならない義務感、強迫観念)が良かったんだと仰っておられました。
Commented by 三谷文人 at 2007-12-23 22:14 x
 有難うございます
 私も強迫観念的な苦しみを抱えていた時期がありました。私の場合は、周囲に苦しんでいる人や問題を抱えている人がいても、生長の家を伝えることが出来ず、愛行を出来る機会にありながら、何もしないのは悪いことをしているのと同じではないか、と自分を責め、裁いていました。
 生長の家をやっていても罪悪感が募るばかりで、苦しくて仕方なかったですね。

 しかし、既に真理は全世界の隅々にまで行き渡り、救うべき人など一人もいないのだ、という自覚に立って、そこから湧き起こって来るところの悦びを表現することが、本来の神様の運動なのですね。

 そうした生き方の中で、自分にしか真理を伝えることの出来ない人や真理を伝える機会を神様が与えて下さり、堀さんの様にごく自然に愛行できるようになりますね。
Commented by しじみ at 2007-12-23 22:53 x
今日も、素晴らしいご文章をありがとうございました。
Commented by koujihori at 2007-12-25 09:12
三谷さん

 そうですか。三谷さんも僕と同じ悩みを持っていたんですか。我々が知り合ったのは11年前ですね。丁度、僕が一番悩んでいた時ですね。やはり類は友を呼ぶというやつですか。
 
 三谷さんはいつも僕の意図する所を理解して下さって本当に有り難いと思っています。我々は同じ信仰を共有出来る様ですね。
Commented by koujihori at 2007-12-25 09:13
しじみさん

 いつも読んで下さり有り難うございます。
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