「我が儘」の反対「そのまま」

 榎本恵吾先生は偉大な先生であった。多くの素晴らしいお言葉を残されているが、その一つに「我が儘の反対そのまま」というのがある。

 私は四人兄弟の末っ子で両親から可愛がられて育ったが、末っ子なだけに我が儘な所があったと思う。それと幼い頃からと言うか生まれつきと言うか、信仰的であったので、根が非常に真面目であったと思う。それで、「こうでなくてはならない」と言う気持ちがとても強かった。それはものごとをゆるがせにする事が出来ず、仕事でも何でも完全にしなくてはならないという考えであった。
 それで仕事は何としても失敗無く、上手くいかなくてはならない、趣味のテニスでも卓球でもこんな相手には絶対負けてはならない、他人特に異性には必ず良く思われなければならない等々という基準で気負っていたのである。それは又、後悔する事の多い人生であった。こうでなくてはならない、こうあらねばならないという気持ちがあって、常にその基準に合わなかった自分の過去を思い出し、後悔し、恥ずかしさで一杯になり、そして、自分を冒涜した者を恨み、それを見返す為におのれの力をつける事に必死であった。

 しかし、それは全部、私の「我が儘」なのであった。信仰とはそれをする事により、自分の思惑即ち我(が)の考え通りに自分の人生をねじ曲げようとする事ではなくて、自分の人生そのままが神の流れであり、実相が出て来る展開であり、一つも悪い事は無かったとして、それを受け入れる事であったのである。それがそのままで良いという事である。
 自分の思惑通りの展開にならなくて失敗したり、恥をかいたり、能力が出せなかったとしても、そこに神が無いのではなく、そこには神は確かにいらっしゃったのであり、表面的に神が成就していなくてもそれは最も良い時期に神が自ら顕れる為に最も必要な過程であったのである。だから、我らの人生は一つも悪い事は無いのである。それを信じ、そのままの自分の人生を百点満点であったと受け入れる事が真の信仰である。それを称して、榎本先生は「我が儘の反対そのまま」「そのままの反対我が儘」と仰ったのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-12-25 13:06 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yuko at 2007-12-26 14:02 x
毎日、堀様のブログを楽しみに拝見しております。実は私も5、6年前に信仰しながら暗闇に落ち込んでしまって、ただひたすら総本山の奥津城に上り、谷口雅春大聖師に私の迷いを訴え続けました。2、3年は全く変わらない状態でしたが、ご縁があり、榎本一子先生より、はなびらさんさんの御本を頂きました。それから後、私は見違えるほど自分を認め、素晴らしいと思えるようになりました。神を認め、どこどこまでも信じることにより、神さまが解決なさるということを実感してます。今日のブログは特別感動して胸が熱くなりました。安心して人生を楽しんでいきます。堀様、これからも楽しみにしてます。
Commented by koujihori at 2007-12-26 15:24
yuko様

 コメント有り難う御座います。そうですか。貴女も暗闇に落ち込んだのですか。でも、それは真の悟り、悦びが顕れる為の基礎工事期間だったのですね。そして、貴女の実相が自分で顕れた時に榎本一子先生とご縁が出来て、恵吾先生の御本を頂いた訳ですね。それは現象的には恵吾先生の御本に救われたみたいですけど魂的には貴女の実相が自分で出て来たんですよ。
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