時は今

 我々は生長の家で人間神の子無限力であると教えられる。しかし、それを掘り出し、発揮する為にはせっせと行をやり、勉強し、訓練し、潜在意識にその刻印をして行ってから肉体その他の現象にそれが出て来ると一応教えられる。そうなると神により救われるのは実相のみであって、この現象や肉体を良くしたり、救うのは私がせっせと心と行動を清め続けなくてはならないという事にもなる。

 しかし、その考えは生長の家の初歩であり、神髄でjはない。そういう考えは既に円満完全、無限力なのはあくまで実相であって、現象とか肉体はそれを私の心が認めて、その通り行動しなければそれが出て来ないと言う事であり、そういう考えは実相世界というものを自分とは直接関係無い空想の、未来の世界に押し込めて、実際の役に立つ自分の住んでいる今の世界を良くするのは一重に我々人間の心のさじ加減一つという事になるのである。
 生長の家は現象ナシ、肉体ナシそして心ナシの教えである。だから、自己の完全円満を祈って、神想観して、それに心のピントを合わせる自分の心もナイし、それからその結果として出て来る肉体その他の現象もナイのである。

 聖典「生命の実相」にこういう話が出て来る。ある僧が野球のボールが頭に当たったのを境にそれから耳鳴りが止まらないと谷口雅春先生に言ったので先生は「あなたの仏教の御仏の光は盡十方に満ちている光だから、あなたの頭にも満ちているのではありませんか」と仰ったのである。しかし、その僧は後に仏教系の雑誌に「仏の光はそんな脳髄なんて物質とは関係の無い事である」と書き、暗に谷口雅春先生のお考えを批判した。その記事を読んで先生はこの僧は脳髄という物質はアル、だから脳髄の故障もアル、仏の慈悲の光は直接そうした所には届かないものだと思っているのであり、だからこの僧の耳鳴りは治らないのであると仰っている。

 我々、生長の家信徒もともすればこの僧と同じ間違いをする事があるのである。実相世界は完全円満の神の子だが、この実際我々が住んでいる現象世界は自分が心を整えなくてはその実相世界の神の癒しとか救いはそこには届かないのであると思っているのである。
 これはこの僧が脳髄はアル、そこには仏の慈悲の救いの光は直接届かないのであると主張しているのと同じである。そう思っているから我々の想念の展開であるこの現象や肉体に癒しとか救いが顕れて来ないのである。
 
 この肉体はナイ、現象はナイ、我らの心もナイ、従って潜在意識もナイ。だから潜在意識をこれから清める必要も無いし、常に心が歪まない様に注意し続けなくてはならないという事も無いし、それが肉体に顕れるのを待つ必要も無い。
 我らが如何に心のコントロールに失敗しようとも、潜在意識が汚れていようと、肉体がどうであろうとそんなものは今、一切ナイのであり、今、ここに実相世界があり、実相の完全円満さは今、我らのこの体を、この場所を完全に貫いているのである。我らの歩みは我らの歩みではなく、神の歩みであり、我らの心は我らの心ではなく神の心である。それが今、ここに息づき、そして、我らを直接生かして、守って、導いているのである。我らは今、神により完全に生かされ、完全円満である。それを自覚した時、如実に現象に完全円満が顕現する。何故なら、この現象世界や肉体は我らの心の波動で出来ているのであり、我らの自覚の映しであるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-15 13:12 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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