期待していた事が裏切られた時

 我々は生長の家の信仰を持ち、毎日の生活の中で色々の体験をするが、その体験が我々の信仰を深めてくれるのである。
 生長の家の信仰を持っていると人間は神の子であり、肉体を超えた完全円満、永遠不滅の神の生命であると教えられる。そして、現象は単なる我々の心、自覚の映しであり、存在しないと教えられる。しかし、我々は毎日生活しているとともすれば現象にとらわれてしまうのである。それは信仰する事によって、現象即ち自分の事業も家庭生活も育児も光明化運動も上手く行っていると、ともすれば、それらの現象をアルと思って、執着する様になってしまうのである。
 
 そんな時、自分が当てにしていたその現象の良さとかが崩れたり、当てが外れたりすると一旦、我々は悲嘆する。しかし、そういう時こそが正念場なのである。その時こそが、現象ナシ、実相独在の信仰が本当に深まる時なのである。

 生長の家の神示「無相圓相一切相の神示」にも「吾が臨れるは物のためではない。生命のためである。肉のためではない。霊のためである。」と示されているが、この事が分からなければ生長の家をやっている意味は無いのである。
 本当の信仰は自分が信仰した事により現象が良くなったと言って喜ぶ事ではなくて、現象がナイと悟り、現象が如何なる状態であっても今、神に生かされている事、今、無限力であり、完全円満の生命を神に幸はへられている事を悦ぶ事である。

 現象とは過去の自分の認識、念が今になって、波動として表面に出て来たものであって、それは現在の自分とは無関係なものである。自分の周りの現象だけではなくて、現在の自分がどうしても力が出なくて出来ないという現象も現在の自分に勇気が無いからではなくて、過去の念が今頃になって出て来ているのである。
 だから、如何なる現象が出て来ても勇気が出なくて出来なくてもそれで落ち込む事は要らないのであって、そんなものは単なる過去の念の残像であるとして、それをナシ!と一刀両断にして、今の自分が完全円満、無限力であるとして立ち上がれば良いのである。そして、その結果をすぐに期待してはならないのである。それは自分に取って、最も良い時期に出て来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-21 12:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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