現象の中に居て、実相を思う生き方

 生長の家の神示の「心の法則と平和への道の神示」にこういう言葉がある。それは「『治にゐて乱を忘れず』と云うのが古き人類の道徳であったが、『生長の家』の生き方は乱にゐて治を忘れざる生活である。・・・」という事である。

 現象というのは過去の我々の念の波動がある時間の経過後に表面に出て来たものである。それを生長の家創始者谷口雅春先生は星の中でも地球と非常に離れている星でその光が地球に届くのに何年もかかるような場合は一年以上前にその星が爆発して既にこの宇宙から消滅している様な場合でもその星の光が今頃、地球の我々に届いて来て、我々に取ってはその既に消滅した星の光がまだ見えていて、あたかもまだその星が存在するかの様に見えているが、それと同じで数ヶ月かそれ以上の数年前に我々が想念した事が今頃になって、我々の目に見える形、現象として現れて来ていて、それが今、あるかの様に感じられるが実はそんなものは過去の想念の残像に過ぎないのであって、実際は存在しないのであると説かれている。
 従って、何か病気とか他の悪い事が起こって来ても、それは現在の自分が悪いのではなくて、過去に想念した事が今頃になって出て来て、消える姿だから、放っておくべし、そして、現在の今の自分、本当の自分、実相の自分は完全円満であると自覚して、悦ぶべし、そして、その無限力の自覚の元に今、正に今、立ち上がるべしと教えている。

 この様に本当の我々は今、たった今、そのままで既に完全円満、無限力の神の生命なのである。これからそうなるのではない。だから、それを自覚したならば、たった今、立ち上がって、その力をどんどん使って、勇気を出して、目の前の課題にぶち当たっていかなくてはならないのである。
 そんな時に過去の迷いの念の現れで現在の現象の自分が調子が悪かったり、力が出なかったりする事があるのである。しかし、吾らは「乱にゐて治を忘れざる」生活をしなくてはならないのである。現象に過去の迷いの念の波動の具象化である不完全な肉体とか能力が出ないとか色々、不如意な事が現れていても、そんなものは過去の念の波動の残像に過ぎないのであって、実際今、存在もしない、正に消え行く姿として、そして断固として現在の自分の完全円満、無限力を信じて、諦めず、前進するのである。そこにこそ実相顕現の道がある。
 だから、現象が不完全でも不如意でもそんな中にあっても、今、自分の完全円満、無限力を信じて行動する生活が生長の家の生活である。そうであれば、吾らは今、既に幸福であり、無限力であり、成功者である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-22 14:26 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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