人生百点満点

 榎本恵吾先生はよく「あなたの人生はそのままで百点満点の人生ですよ。」と色々な人に仰っていた。
 私が生長の家で最初に学んだ事で一番印象的だったのは「思ったら思った通りになる。」という心の法則であった。それが高校一年の練成会での事であったが、私はそれを知った後、自分の心のコントロールをちゃんとしないといけないと思う様になったのである。思ったら思った通りになるのであるなら、良い事を思ったら、良い事が出て来るのであるが、逆に悪い事を思ったらその通り、悪い事になるという事であるから、間違っても悪い事を思ったらいけないと思う様になった。それは誰でもそうなるはずである。
 それから、私は一種ノイローゼの様になった。何故かと言ったら、悪い事を思ったらいけないと思えば思うほど、悪い事を思ってしまい、それが実現するかと思ったら、恐ろしくなってしまったからである。それで勉強が余り手につかない様になってしまった。しかし、その後、丁度、谷口雅春先生も同じ様な悩みを持たれていた事を聖典「生命の実相・自伝編」で知り、現象はナイ、心もナイ、実相のみがあるという例の先生のお悟りになった部分を拝読させて頂いて、一応は私の悩みも消えた。

 こういう風に心の法則を知って、自分の心のコントロールに悩み、苦しむのを仏教用語で「業障海に沈む」と言うそうである。これは宗教的真理を探究する求道者に取っては一度は通らないといけない関門の様である。
 私は「生命の実相・自伝編」を読んで一応は納得したが、求道とはそんな本をちらっと読んだ位で分かる様な甘いものではない。私はその後、この生長の家の真理の神髄を会得するのに何十年と掛かったのである。
 
 私は心はナイ、実相独在であると一応は納得したもののやはり神が支配しているのは実相世界のみでこの現象世界は自分の心が造り、コントロールしなければならないと思っていたのである。だから、心を清めよう、行動を良くしよう、徳を積もうという考えで来たのである。実際、そういう事を指導する生長の家の指導者は沢山いる。
 しかし、それは実相独在の生長の家の神髄とは違う、言わば、初心者向け指導である。現象はナイ、心はナイという事は潜在意識もナイという事であり、我々の現象の人生も過去もナイという事である。そして、自分が生きていたのは自分が生きていたのではなく、神がここに生きていたという事である。
 
 即ち我々の人生というのは実は自分で生きてきた、自分で自分の心をコントロールして、生きてきたと思っていたが、それは自分の間違い、錯覚であって、自分の人生は神が生きてきたのである。現象はナイ、心はナイという事はそういう事である。
 自分の過去に罪とか間違いとか悪とか不完全がある様に見えているのはそれは現在の自分の心のレンズに歪みがあるからそう自分に感じられているに過ぎないのであって、自分の心が実相を悟り、目覚めれば自分の人生が短期的に見れば、如何に紆余曲折的なものであったとしても大局的に見れば、それは吾らの内なる神が御自分で出て来る実相顕現の歩みであった事が達観されるのである。
 ここに業障海は消え、実相独在の世界が開ける。自分が生きていたのは自分が生きていたのではない。神が自分において生きていたのである。だから、榎本先生の仰られた様に全ての人の人生は百点満点であるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-23 13:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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