日時計主義(3)

 今月の私の所属する教区の相愛会の誌友会のテーマは「笑いの効用、日時計主義とは何か」という事である。

 日時計主義とは今から78年前の昭和五年に谷口雅春先生が生長の家を始めれた時に雑誌「生長の家」誌で提唱された「ものごとの明るい面のみ観て、暗い面を見ない、語らない、思い出さない」という生き方である。
 それは生長の家の真理から言って、この現象世界は具体的に存在する世界ではなく、我々人類の心が映し出した映像みたいなものであるから、心を清める事が世界平和につながるという考え方が根本になっている。
 従って、今後、我々人類は一切の悪を心で観ない、語らないという事が大事であって、そうしていれば我々は悪に遭遇せずに済むのである。それが日時計主義である。そして、その生き方を全人類に広める事がそもそもの生長の家の出現の使命と意義であるのである。現在の生長の家は言わば、その原点回帰が提唱されているのだと私は思う。
 
 ところで、私は生長の家の地方講師であるので教区が毎月定めたテーマに沿って、県内各地にある相愛会の誌友会に派遣されて出講に行く。その為には当然、講話をする為の準備をするのだが、その中で改めて、この日時計主義について学ばせて頂いた。
 私は講話の準備の為の原稿を作成していて、日時計主義とはどういう事かと思索して行き、それは前述の様にこの世界は我々の想念、コトバで出来ているのであるから、それを清める事のみが平和をこの世界にもたらす道であり、また現象は具体的存在でななく、我々の想念の映しに過ぎないものであるから、我々が心で悪を認めない限り、悪は存在し得ないという事を改めて、勉強した。
 余談になるが、生長の家の地方講師になるという事は講師自身がかけがえのない真理の勉強をする機会になるのであるから生長の家の人は講師になる事を心の底からお勧めする。
 
 ところで私は最近、趣味のテニスにおいてある経験をしたのである。私が所属しているテニスクラブで私に取っては非常にこわいというか苦手な人がいた。その人はテニスの腕は素晴らしいものがあり、私より十歳位年上の人だが、その人には私も随分、為になるテニスのテクニックを教えてもらったが、一緒にダブルスのパートナーとして組んで試合をするとよく怒られるので、ちょっとその点は苦手であったのである。
 しかし、ここ最近は良く褒めてくれるし、同じ教えてくれるのでも以前の様にきつい感じではなく、丁寧に優しく教えてくれる様になった。これは私自身が変わって、他人の非を咎める事が殆ど無くなったからであると思うのである。
 その時、私はやはり、世の中には恐いものとか悪というのは存在せず、全て自分の心の姿を映しているものに過ぎないという真理を改めて、自覚したのである。去年は私は他にも人間関係で我慢ならない思い、憤りを感じる事が多かったが、それ全て、自分の姿を相手に映していただけであったのである。悪い人、悪は本当に存在しないのである。
 世の中にはこういう巨大陰謀組織があるから、こういう悪巧みを考える人間がいるから、それを警戒し、かつやっつけなくてはならないなんて言う人もいるが、悪人とか巨悪組織なんて本当の存在ではないのである。
 
 だからと言って、私は何もしないかと言ったらそうではない。この世界には善しかないという真理に基づいて、自ずとやるべき事、したくなってする事を内側からの導きに従って、どんどんやって行くのである。それが世界平和を地上に持ち来す道である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-28 13:18 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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