生長の家の信仰について(2)

 生長の家の聖典「生命の実相」第7巻・生活編には如何に生活したら良いかという事が書かれている。
 その生活というのは生長の家の真理の行動化であり、実践である。そこには「朝の時間を生かせ」に始まり、「朗らかに笑って生きよ」「日時計主義の生き方」「人の生命の実相を礼拝せよ」「取り越し苦労するな」等々の生長の家の生き方が紹介されている。
 聖典「生命の実相」全40巻の内、この「生活編」は生長の家の信徒の間で一番親しまれて、読まれている様で、これを勉強会のテキストにしている所も多い様である。
 
 しかし、宇治別格本山で長年、御指導されていた榎本恵吾先生はそれは順序が逆であると良く言われていた。要するに聖典「生命の実相」は先ず最初に生長の家の根本真理である実相独在、唯心所現の真理がきちんと根本的に書かれた1巻~6巻までがあり、その後にそれを生活に如何に応用するかという7巻があるので、1巻~6巻までの生長の家の根本真理である人間は神の子であるという無上の真理をなおざりにして、手っ取り早く、どういう風に生きるか、行うかという事に飛びつく考え方は間違っていると仰っていた。
 それは巷に氾濫している「自己啓発セミナー」と五十歩百歩であり、その様な自己啓発セミナーとかそうしたものは人間神の子なんていう事は全然説かずに、「積極的思考で行こう」とか「明るく振る舞おう」とかと言った指導を行い、それで手っ取り早く、ストレスを解消しようとか、自信をつけようとか、現世的成功とか幸福を手に入れようという考え方であるが、生長の家でも人間神の子の根本真理をなおざりにしてそうした生長の家の行動の仕方とかにばかり引っ掛かっていれば、本末転倒という事になる。そういうのを仏教では「願無き行は仏の魔事なり」と言うのである。

 吉田國太郎先生も同じ様に、最初に「生命の実相」生活編だけ読んで、それをやる事から始めるというのは感心しないと仰っている。吉田先生御生前の時の青年会全国大会では机を叩いて、熱心に青年達に向かって「今、そこに何が座っておりますか?肉体ですか?我(が)ですか?肉体とか我(が)がそこに座っているなんて思っている様では駄目ですよ!」と絶叫されている。

 要するに吾らは我(が)が行う行は駄目なのである。自分というものを肉体即ちまだ救われていないでくの坊と思って、それを良くする為に我(が)が生命の実相、生活編に書かれている生き方を無理にやっても駄目なのである。感謝のまねごとをしても駄目なのである。取り越し苦労をしまいといくら頑張っても、我(が)がやっている限りは取り越し苦労をしまいとすればするほどしてしまうのである。

 吾らは自分が何もしなくても今、このままで既に完全円満な神の生命であるのである。肉体はナイのである。今、ここがそのまま神の国であり、今、吾らはそのままで肉体ではなく、神の生命がここに立ち、かつ座っているのである。吾らは今、そのままで百%神に生かされ、導かれているのである。それを素直に受け取り、今、悦んだ時、自ずと生長の家の生き方がしたくなるのである。
 真理の実行を我(が)がやったから実相が顕現するのではなくて、実相が自分で出て来て、自ずと真理の行動化となり、それが潜在意識を変えて、その映しである現象とか肉体を良くするのである。従って、吾らはこのままで良いのであり、良くなるしか仕方の無いものである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-01-31 13:14 | 信仰 | Trackback(3) | Comments(4)
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Commented by 三谷文人 at 2008-01-31 23:16 x
 有難うございます。

 生長の家の生活という型に自分を押し込めるような信仰ではとても窮屈ですよね。自分がそんな信仰でしたから。
 形の上では、生長の家的な生活であっても、自分の中の神様が悦ばないです。

 「生命の実相」の第7巻は、自己を神の子として悦んだ時、結果としてこんな生活に自然となりますよ、ということが説かれていたのですね。
Commented by koujihori at 2008-02-01 09:15
三谷さん

 >「生命の実相」の第7巻は、自己を神の子として悦んだ時、結果としてこんな生活に自然となりますよ、ということが説かれていたのですね。

 その通りです。三谷さんはいつも僕の意図を汲んでくれますね。
「生命の実相」第七巻の生き方を振り回された日にはとてもではないですがやってられません。
 「そのまま」でいいんですよね。これはいつも榎本先生が仰ってました。
Commented by しじみ at 2008-02-02 22:45 x
堀先生ありがとうございます。
今様々なことが回りに起こっており振り回される毎日でした。
この記事を読ませていただく前にちょうど今晩は寝る前に生命の実相1巻を拝読しようと手にとったところでした。
すとんときました。
ありがとうございます。
Commented by koujihori at 2008-02-03 12:44
しじみさん

 コメント有り難うございました。お役に立てて何よりです。真剣に信仰しようという心なくして、生長の家をやろうという人がたまにいますが間違いですね。

 でも、僕も願無き行をさんざんやりました。それで破綻してしまって、一度は奈落の底に落ちましたが、それが僕を榎本先生の元に導いてくれました。それで自分の生命は今、そのままで神の生命であると悟る事も出来ました。その後、自ずと七巻に出てくる様な生き方が出てきました。

 だから、色々あってもそれ全て神の導きですね。そのまま安心して生長の家をやって下さい
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