そのままでよい(9)

 以前、生長の家のある先生が講話をされていたのを拝聴した事がある。それは「現象の諸々の問題は我々のこういう心の間違いがある、こういう心の歪みがあるから、それを治せば、その心の映しである現象の不調和とか肉体の不完全、病気とかは消えるのである。しかし、その心の間違いとか迷いをどうやって取り去るかが問題なのである・・・」というお話であった。その時は残念な事にその答えはその講話の中では結局、出なかったと記憶している。

 我々は生長の家を学び、人間は肉体でないこと、肉体を含めた現象は本来の存在ではなく、我々の心の反映、影であること、そして、我々の肉体の奥の実相、本当の姿は完全円満の神の生命であること、そして、それを自覚して、自分の心の歪みや執着を取り去れば、その完全円満の自己の生命の実相が現象の肉体に投影して、健康にもなるし、その他の諸々の問題も自消する事を学ぶ。
 そして、具体的に自分の心の間違いを悟り、強情であるとか、執着が強いとか、感謝が足りないという事に気がつく。そうしたら、もう自分の病気とか問題の原因が分かったから、後は自分の心の歪みを治せば良いと思い、治そうとする。要するにこれだけ生長の家で真理を教わったのだから、後の最後の手続きである自分の心を治す、又は改めるのは私の仕事、努めであると思うのであるが、これが中々出来ないのである。それが冒頭に書いた生長の家の先生が仰っていた最後の問題なのである。
 
 しかし、榎本恵吾先生はそのことを一語で解決された。それは「そのままでよい」という言葉である。吾らは自分の心の存在を認め、ここに原因がある、これを変えなくてはと思い、焦る。しかし、それではらちがあかない。大体そういう考えは心もナイという生長の家の真理に反しているのである。
 心もナイという事は全ては神がやって下さるという事である。実相を顕現させて下さるのは神様なのである。それを全託というのである。
 肉体はナイ、現象はナイ、心もナイ。ここに今、ただ神の完全円満の生命が私をして息づいているだけである。そして、私が頑張らなくても神御自身が、実相が自分で顕現するのである。私の心なるものはナイ。ただ神の心のみがここにあり、それが自ずと働いて、神即ち実相は御自分で顕れる。具体的に言えば、私が頑張らなくても自ずと神の心が働いて、生長の家の生き方が出来るという事であり、自分の悩みも迷いも問題も全て、神が消して下さるという事である。

 実相顕現に我(が)は要らないと悟る事が実相独在の生長の家の神髄を悟る事である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-06 13:02 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/7187440
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from にゃんこのニャンコ日記♪ at 2008-02-06 13:27
タイトル : 泡風呂写メのリクエスト☆初リクサンクスにゃん♪
初リクエストサンクスにゃん☆超嬉しくって写メ撮ったんだけどなんかエッチぃくなり過ぎてこれが一番いいかなぁって思って貼ったら前の写メと同じような写メになっちゃったにゃん。。。でもこれでいいかにゃん??もっともっとリクエスト欲しいにゃん!!あっ!ちなみにおねえたまのブログでぇ、もっとすごい泡風呂公開したって!!見てみてにゃん☆⇒☆おねえちゃんのブログだよぉ☆ ・・・でも、なんかすっごいおねえに泡風呂で... more
<< そのままでよい(10) 神業 >>