そのままでよい(10)

 私が榎本恵吾先生から授けられた真理で最大のものは「そのままでよい」という事であった。私は幼い頃、生長の家に触れ、それから大学生の頃から生長の家青年会に入り、生長の家の活動もして来た。
 それと共に私生活では自分の実相を顕現させる為にどうしたら良いかという事で聖経を読み、愛行をやり、神想観をやり、先祖供養もやりと一所懸命、生長の家をやって来た。これ全て、自己の実相を顕現させる為である。

 しかし、それでは埒があかなかったと言うか、行き詰まってしまって、それで宇治の練成道場に練成を受けに行き、そこで榎本先生に巡り会う事が出来た。先生は私の様な人間が来るのを待ちに待っていたと言わんばかりに歓待して下さり、道場内で私の事を見つける度に「堀君、ちょっと話しよう」と個室で深遠な真理の話を説いて下さった。私はそのお陰で生長の家の神髄を会得する事が出来、心が晴れやかになり、魂が救われたのである。

 ところで榎本先生に薫陶を頂くまでの私は自分はこのままでは駄目なもの、即ち行とか、何とか色んなものを自分に加えなければ、救われないものであると思っていたのである。(私は自分に対してそういう思いでいたから、他人に対しても、これを生長の家で救わなければならないと思うようになった。それは蓄積して、強迫観念となり、その為に一時、夜も眠れない様になった)
 しかし、それは間違いで、私の生命の実相は今、このままで完全円満であり、何もしなくても今そのままで救われており、それは無限に自ずと活動するものであるから、自ずと顕現するものであると分かったのである。
 それが「そのままでよい」という事である。吾らは今、そのままで完全円満であり、無限力であり、無限の智恵であり、考えずとも、行をせずとも、今、そのままで悟っているものであり、自ずと良いこと、智恵にかなった懸命な事をするものであったのである。だから、そのままでよいのである。
 だから、焦る事はないのである。そのままでよい。そのままで今、我々は神に完全に生かされ、支えられ、守られている。そして、その実相は自ずと段階を踏んで出て来る。その段階の中で我々の具体的な行動や生き方が生長の家の生き方として出て来る。それは無意識的に出て来るのではなく、はっきりとした自分の現在意識として、出て来る。しかし、それは我々の意識ではない、神の心である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-07 12:57 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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