悟り

 私は幼い頃から母親の影響で生長の家に触れていたが、本格的に学び出したのは高校生練成を受けてからである。

 以前も書いたと思うが、私がその練成会で一番印象に残った事は「思ったら思った通りになる。」という心の法則の話であった。私は練成会から帰って来て、生高連の人達から活動とかに誘われたが、私はそんなものより生長の家の真理を学ぶ事に興味があったので、練成会を受けた時に買った生長の家の本を自分だけで毎日、読む様になった。
 そうこうしている内に段々、悩む様になった。その中でも最大の悩みは「思ったら思った通りになる」という事で、以前も書いたが、思ったら思った通りになるなら、悪いことを思ったら、それが実現するかと思ったら、恐ろしくなってしまって、勉強も手につかず、悩んでばかりいた。
 
 その後、大学生の時に生長の家の青年会に入り、色々な経験を積ませてもらって、今日に至っている。その間、私は信仰で行き詰まり、それがきっかけで宇治の榎本恵吾先生の元に神により導かれ、そこで幸運にも生長の家の教えの神髄、即ち、今、そのままで救われている、生かされているという事、即ち実相独在の真理に目覚め、それから、悦びに溢れ、毎日、精力的に色々な活動をさせて頂いている。
 しかし、ほんのたまに土壇場の状態になった時に恐怖心が頭をもたげる事があり、そうすると普段の様な信仰とか判断力が失われ、やはり、昔、思春期の時に悩んでいた「思ったら思った通りになる」の事が思い出された。
 そして、恐怖したら、その恐怖の通りの事になるとありありと実感されるものだから、却ってより恐怖してしまうのであった。ある時、それは私のいつもやっている趣味のテニスの時であったのだが、友達同士でやる失敗しても笑って済まされる様な遊びのテニスではなくて、私が所属しているテニスクラブでのクラブのメンバーの人達とテニスの試合をする時は失敗が赦されない様な雰囲気があるが、そこでの試合の時、自分がサービスを打つ時になって、ダブルフォルトなどの失敗をしてはならないという恐怖心が何故か何時にもましてその日は頭をもたげて来た。
 たかがテニスと思うかも知れないが、私に取っては本当に土壇場の状態であった。恐怖したら恐怖したとおり失敗してしまう、しかし、ここのクラブでそんな失敗は赦されないと思うとますます恐怖してしまって、もうサービスを打つ前からサービスが入る気がしなくなってしまった。
 
 その時である。私の中から「私は神である。」という声が聞こえたのである。「私の心がアル、その私の心が恐怖したらいけない、だから何とか落ち着かなくては」というのではなくて、「私は今、神であり、完全円満であるから、私には恐怖は無い。私の心は私の心ではなくて神の心である。私は今、神であった。何も努力しなくても何も工夫しなくても私は今、そのままで神であった。それ以外の事はナイ!」と瞬間的にそういう声が私の中からふつふつと浮かび上がったのであった。
 「そうであった。私は今、このままで神であった。恐怖心はナイ。従って、恐怖を抑えようとかする必要もない。恐怖は神によって消されている。」と瞬間的に実感されたのであった。これが吾神の子なりの自覚である。

 生長の家の入ると心の法則というものを学び、その為に自分の心のコントロールに悩み、恐怖する事を恐怖したりする様になる時期もある。しかし、それ全て、実相独在、今、吾神であり、恐怖などどこにもナイという悟りが出て来る為の一つの段階なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-13 13:02 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by suzu at 2008-02-13 16:55 x
はじめまして。
すばらしい内容のブログですね。
これから勉強させて頂きます。
Commented by koujihori at 2008-02-13 17:58
suzu様

 コメント有り難うございました。また、身に余るお言葉大変有り難うございました。これからもどうぞ宜しくお願いします。
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