悪はナイ(5)

 生長の家の教えは「人間は神の子であって、完全円満である。」という事と「この現象世界は本当に存在するものではなくて、我々人間の認識が映っているものである。」という事である。

 我々は学校とか会社とかその他の団体組織に属して、社会生活を営むが、その中で「こいつだけは赦せん。こいつが居るお陰で組織がおかしくなる。その為に自分を含めた心ある人達が被害を受けるのである。」と感じる事があるのである。しかし、現在の自分の現象の状態が自分の過去の念の残像であるのと同様に自分を取り巻く他の人達の状態も自分の過去の念の残像であって、消え行く存在しないものである。
 
 それなのにここにこういう悪人が居て、こういう悪さをしているからこれを何とかしなくてはならぬと悪を心でつかむと又、将来、悪人が我々の周りに出て来て、収拾がつかなくなるのである。

 だから「悪に刃向かうな」という言葉、教えがあるのである。悪人、悪は存在しないのである。自分の過去の念が現れているだけである。だから、放っておいて、自分の為すべき事をずんずんやって行けば良いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-18 12:42 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/7287922
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by erica at 2008-02-19 10:14 x
>悪人、悪は存在しないのである。自分の過去の念が現れているだけである。だから、放っておいて、自分の為すべき事をずんずんやって行けば良いのである。

自分のなすべきことをずんずんとやって行けばよいのである。確かにそうですが、ほっとくというより、感謝に達するのが理想ですね。悪人は本来せず、本来は自他一体であるため、悪人に見える人でも実は我々に魂を磨き、実相顕現を可能にしてくれている人です。だから、肉眼では悪人に見えても、我々の魂にとっては善人であるはずです。
Commented by koujihori at 2008-02-19 10:35
ericaさん

 そうですね。感謝が大事ですね。僕は何か他人から被害を受けた時、その時に感謝する事は到底出来ませんが、後で振り返ってみると、あの時、あの人がああしてくれたからこうなれたって思う事がよくあって、その時、しみじみと感謝の思いが湧き出てきます。
<< やりたい事をやる 無限力 >>