生長の家の生き方

 生長の家には生長の家の生き方というのがある。人やものごとの光明面のみ見るとか、今に全力を尽くすとか、取り越し苦労しないとか、朗らかに笑って生きるとか、そんな事である。それらの生き方は生長の家の人は良く知っていると思うが、聖典「生命の実相」第七巻、生活編に示されている。これは具体的にどうしたらいいかという事が書かれているから、読み手に取っては取っ付き易く、「生命の実相」全40巻の中で一番、信徒の間で読まれている本である。

 しかし、以前にも述べたが、榎本恵吾先生は「人間神の子完全円満」の自覚を得る事をおざなりにして、手っ取り早く、この七巻に飛びつくというのは感心しないと仰っている。要するに人間神の子という中心自覚が無いのに、表面的なノウハウのみ知って、安易にそれをやろうとするのでは自己啓発セミナーと大差無いという事になってしまうからである。
 生長の家の生長の家たる所以は一重に「人間は神の子であって、完全円満である」という実相哲学が中心にあるという事である。そこから、副次的に生長の家の生き方が後から出て来るのである。だから、生長の家の信徒たるもの、この人間神の子の真理の探究を断じてなおざりにしてはならないのである。

 生長の家の生き方というものは人間神の子の中心自覚から自然発生的に出て来るものである。そういう中心自覚なしに表面的にテクニック的に生長の家の生き方をやろうというのはそれは吾らの中の神が行っているのではなく、表面の我(が)がやっているから、おかしな事になって来るのである。そして、光明面のみ見て、暗黒面を見るべからずという日時計主義の生き方でもこれを我(が)が表面的にやって行けば、その事にとらわれてしまって、自分の本来やるべき事であるが、なるべく触れたくない事をおざなりにして、安易な事しかしない様になったり、目の前に問題を起こしている相手が現にいるのに、それに対して、適切な注意も出来なくなったりするのである。

 臨機応変という事がなくてはならないのである。人間神の子完全円満という中心自覚のある所、自然発生的に生長の家の生き方が出て来るようであれば、一つの型にとらわれず、自由自在に臨機応変に人事処に応じて、生長の家の生き方を駆使出来るのである。
 その為には自分の中に神の国があるという事を自覚しなければならぬ。その為に真摯な求道的姿勢というものが是非とも必要である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-02-29 13:01 | 信仰 | Trackback | Comments(7)
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Commented by tabotaboy at 2008-02-29 13:02

初めまして
今年の二月は20年ぶりの寒さだったようですね
二月は逃げて行くと言いますがいよいよ待ちこが
れた春の訪れです。
寒さを乗り越えてこれからは春の美しい花々が心を癒
してくれますね。
愉しみが嬉しい予感を感じさせてくれるでしょう。

Commented by e_sophy at 2008-03-01 00:30
まったくその通りですね。
うちの教化部長先生がいっつも云います。
「「人間は神の子だ」って本当にわかればあとは“勝手に”よくなるんですよ」って。
キリスト教でなら「まず神と神の国の義を求めよ。その余のものは汝らに付け加えらるべし(だったかな?)」ですよね。
Commented by 三谷文人 at 2008-03-02 23:17 x
 有難うございます

 生長の家の生き方というのは、本当は凄く楽行なんですよね。だって、自分が頑張る必要なんてないのですから。
 例え、今は生長の家の生き方が出来ていなくても、堀さんの仰る通り、神の子の自覚を求めてさえいればいいのですね。嬉しい、楽しい生活の中に、自ずと生長の家の生き方が展開していきますね。

 それから、お誕生日おめでとうございます。
 
Commented by erica at 2008-03-02 23:28 x
堀さんはお誕生日ですか?おめでとうございます!!
何日ですか?
私も今週ですよ!
Commented by koujihori at 2008-03-03 09:22
sophyさん
 
 そうですか。「人間は神の子」だって分かっていれば、後は勝手に良くなるですか。素晴らしいですね。
 そうなる為には命懸けの求道が必要でしょうけど。その事が「まず神と神の国の義を求める」ですね。
Commented by koujihori at 2008-03-03 09:27
三谷さん

 そうですね。生長の家の生き方は自分が頑張る生き方でなくて、全託の生き方ですから、すごく楽ですね。でもそれを発見するのが求道ですね。求道は命懸けですね。生長っていうのは徐々に良くなるんじゃなくて、既に完全円満、無限力でそのままでいいっていう自己の実相を掘り当てる事ですね。

 ところで誕生日祝って下さって有り難うございます。僕も来年はいよいよ大台です。
Commented by koujihori at 2008-03-03 09:30
ericaさん

 有り難う御座います。お恥ずかしい話ですが僕は3月3日生まれです。お恥ずかしいっていうのはどういう訳かというと、この日は桃の節句と言って、日本では女の子の幸せを祈りかつお祝いする日だからです。

 ericaさんは何日なんですか?
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