迷いは放っておくべし(2)

 我々は毎日、生活していると迷う事がある。どうしていいか分からなくなるというのも迷いであるが、間違った事を思ったり、言ったり、やったりするのも迷いである。そうすると生長の家の人は自分は感謝出来てないとか心が清まっていないとかと自分を審くのである。

 それで焦って、神想観したり、祈ったり、愛行したり、聖経を読んだりして、心を清めよう、清めようとするのである。

 しかし、榎本恵吾先生にお聞きしたのであるが、谷口雅春先生の求道する中での切なる願いは「心が清まらないままで救われないままで救われる神が欲しい。」という事であったそうである。

 我々は生長の家の真理を勉強していると実相と現象というものが違うと教わる。そして、実相は既に救われた完全円満なものであるが、現象とその現象を映し出す際の心のレンズである自分の潜在意識を清めなくてはならないと思うのである。それは当然である。何故なら実相の完全円満さを現象に完全に映すにはその通り道である心のレンズに歪みや汚れがあると現象は助からない、良くならないと思うからである。

 しかし、更に学びが進んで来ると現象はナイ、心のレンズもナイという事が分かって来るのである。心のレンズもナイという事は潜在意識もナイという事である。潜在意識もナイならば、それが清まっているも清まっていないも無いのである。

 私は長年、生長の家をやって、人間は今、このままで神であり、完全円満であるという事を悟る事が出来た。しかし、私の心、潜在意識にはまだまだどろどろの部分も残っている。それは「この野郎」という他人を怒る心、審く心である。
 しかし、私はそんな部分があるからと言って、別段気にしていないのである。何故なら、そんな人を憎む心、怒る心など現象であり、存在しないと知っているからである。そして、いざという時はそんな迷いは神が消して下さると言う事を知っているからである。

 私はこの野郎と思った相手でも、いざ、その人と相対して、接する時には私の憎む心はどこかに消え失せ、それを超えた神の心、相手を思いやる心が自ずと発動するのを何回も体験したのである。要するに吾らは潜在意識がまだ完全に清まっていなくても、そんなものはナイのであり、今、神は吾らを出口として、働き給うのである。

 迷いはナイ。現象はナイ。潜在意識はナイである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-03-03 12:24 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 恋愛相談.com at 2008-03-05 11:58
タイトル : 潜在 意識 恋愛
■マジメなお話です。フロイトが発見した潜在意識にはどのような働きがあるのか。心理学では、「盲目的な心の働き」であると解釈されている。例えば、本能がその典型。道徳上妻子ある男性と不倫はよくないと知りつつも「課長島耕作」のように...... more
Commented by yuko at 2008-03-04 12:11 x
更に学びが進んで来ると-というところがミソですね。人は心を浄めよう浄めようと必死になり、行に専念したりしますが、途中で挫折することも多く、ままならぬと意気消沈しますよね。私も何度もそういうことを繰り返しました。しかしそういうことを繰り返すうちに信仰に挫折して真っ暗闇に落ち込んだおかげで、基礎工事期間を経て私の内なる神が出てきました。学びが進んでくると、楽に悦んで人生を楽しむことができますね。そのままで救われ済みの私ー幸せです。
Commented by koujihori at 2008-03-04 14:31
yuko様

>人は心を浄めよう浄めようと必死になり、行に専念したりしますが、途中で挫折することも多く、ままならぬと意気消沈しますよね。私も何度もそういうことを繰り返しました。

 そのご経験が現在のyukoさんの悟りの基盤になっているのですね。
 yukoさんも常楽の道に入られた訳ですね。そうなると自ずと周囲に光が伝わるでしょう。 
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