日本人が一番嫌うのは恥という事であると言われている。恥知らずなんて言葉もあり、これは相手を軽蔑する言葉である。特に江戸時代以前は武士というものは恥というものを一番忌み嫌ったとされ、恥をかかされたとか恥辱にまみえたという場合はそれを晴らす為にそれこそ命懸けになった様である。それはプライドを大事にしろという事であるが、吾神の子という自覚であるプライドを持つのは良いが、見栄や世間体を気にするのは良くない。

 宗教的な德の一つに忍辱(にんにく)というものがある。屈辱に耐える事が一つの大きな德とされているのである。それから、生長の家の神示の一つの「使命邁進の神示」に「人がどう思うかも知れぬと、そんなことばかり気に掛けている様な事では心の苦しみは絶えぬものだ。」というくだりもある。
 大抵の人はは世間体というものを気にして、中にはこの年になって、妊娠したなんて恥ずかしいという事で堕胎してしまう人もいるらしい。要するに人間は大体の傾向において、自分が他人からどう思われているかという事をとても気にする所があるのである。
 しかし、神示にある様に、それでは心の苦しみは去らないのである。

 私はテニスをやっているが、この二週間位、どうも調子が良くなかった。具体的に言うとそれはサービスである。サービスはある程度、極めた積もりであったが、それがどうにも調子が悪かったのである。
 それは友人同士の気軽なテニスの時には余り露呈しないのだが、テニスクラブでやる緊張を強いられるゲームの時にそれがもろに出てしまうのであった。調子が悪くて、スピードも出ないし、回転もかからないわで思うようにコントロール出来なかった。そういう試合を先々週の日曜日から、数試合重ねて来たが、その間、一緒にプレイした人達から、ちょっとあきれられた様な感じを受けた。要するに恥をかいたのである。

 しかし、昨日、一試合目を終わった時点で、自分のサービスの技術的問題点がパッとひらめいた。それはとても単純な事で私はサービスをこれから打とうという時、ラケットを引き上げて、頭の後にセットしていなかったのである。サービスはそもそも肘を使って打つのであるが、きちんとラケットが引き上げられて、頭の後にセットされていないとその動きが出来ない。そうなるとラケットを充分振る事が出来ないから、スピードも回転も十分に掛けられなかったのである。
 それが分かったら、それ以降はずんずんいいサービスが打て、試合にも勝つ事が出来る様になった。こんな事はテニスのレッスン書ではごくごく当たり前に書いてある事であるが、それが私の実際の技としてはやっと昨日、出て来たという訳である。しかし、それが実際に出来る様になるまではその前の最悪の失敗体験というものが私には必要であったのである。

 要するに我々が進歩向上するのは失敗体験をする事が不可欠であり、そうなると当然、人前で恥をかくという事が出て来る。だから、他人からどう思われるかなんて気にしたり、考えたりなんかしていたら我々はとてもこの世界では生きて行く事は出来ないのである。 
 また、そうした体験は自分が気にするほど、他人は後々まで覚えていないものである。要するに神様がそんな事も払拭してくれるのである。それを何時までも気にするのは自分が心でつかんでいるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-03-17 13:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/7503470
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 一番大事な事 本当の宝 >>