如何なる経験も全て善し

 吾々は神の子である。神の子完全円満である。そして、この人生はその無形なる内なる完全円満さを表現する為にある。そして、また同時にその表現の為の学びの場でもある。
 そして、その学びはどの様にされて行くかと言ったら、人生で色々な経験、特に失敗経験をする事により、自己の中の完全円満さ、無限力を発見して行くという過程を踏むのである。だから、人生とは表現の悦びの場であると同時に厳しい学びの場である。そして、吾々の全ての人生経験はこれ、その自己の生命の実相を発見し、悟る為の無くてはならない教材であるのである。   
 だてに失敗したり、厳しい人生を送っているのではない。従って、この人生は表面的に条件の良い学校に入って、有名な安定した就職先に就職して、条件の良い結婚相手と結婚して、適当に幸せな家庭を築いたらそれで良いというものではない。そんなものは吾々の肉体が滅びる時が来たら、全て、無になるのである。否、物質はナイのであるから、今そのままでそれらの表面的物質的栄華は無なのである。

 本当に素晴らしい意義ある悦びの人生というものは内に無限なる神の国を発見する人生である。そして、この人生において、吾々に巡ってくるあらゆる経験は一つ残らず、この内なる宝を発見する為に必要なものである。

 だから、どうしようもない時はどうしようもない。それはいくら努力しても祈っても愛行しても、どうしようもない時もある。私は生長の家をやっていたのに信仰に行き詰まり、強迫観念にかられて、一年間不眠状態が続いたのである。あの時は正にどうしようも無かったのである。しかし、そのどうしようもない事が大切な事を教えてくれているのである。
 そして、私はそうなったが故に榎本恵吾先生の元に導かれて、至上の生長の家の常楽の真理に触れる事が出来たのである。

 今でも私はたまに迷いが出て、心が乱れる事もある。そうなると如何なる人生教訓も生長の家の生き方や心の持ち方を工夫して見ても、その状態を根本的に解決する事は出来ない。しかし、現在の私はそういう時でも神が自ずとそうした迷いや心の乱れを消して下さる事を知っている。そうして、「そのまま」でいると自ずと悟りが出て来て、心が晴れるが、その時、以前よりまた真理の理解と悟りが進んでいる事が分かる。その悟りの基礎工事になっていたのがその直前の迷いであり、心の乱れであるのである。
 だから、如何なる困難や迷いや失敗経験もこれ全て、貴重な価値ある悟りの基礎工事であると言う事が分かるのである。それが分かったら吾々にもう恐いものはひとつも無くなるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-03-24 12:30 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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