問題は神が消して下さる

 私は子供の頃から生長の家を知っていて、甘露の法雨を聞きながら、育った。そして、大学生の時から青年会に入って、活動もして来た。しかし、信仰に行き詰まり、宇治の練成道場に導かれた。そこで、私は生涯の師である榎本恵吾先生に巡り会う事が出来、生長の家の神髄を授けてもらう事が出来た。

 子供の頃から生長の家を知っていて色々、活動や行もして来た私であったが、榎本先生の教えは革命的であった。それまでの私の生長の家に対するイメージと言うか、考え方が根底から覆ったのである。
 それまでは現象を信仰で良くする事ばかり考えていた。それで神想観しなくちゃならん、聖経を読まなくちゃならん、先祖供養も水子供養も漏れなくしなくちゃならん、他の人を生長の家で救わなくちゃならんともう全身ガチガチになっていた。しかし、それは間違った信仰だから、何時か破綻するのである。そして、私は破綻したが、それが実は神様からの大いなる導きであった。それがきっかけで私は宇治の道場の榎本先生の元に導かれたからである。

 私が榎本先生から教わった数々の教えの中に問題や悩みは神様が消して下さるというのがある。そして、全託と言ったら、本当に全託だよと言うものもある。
 要するに生長の家では実相と現象は違うと言って、分けるがそれは良いのだが、何となく実相の他に現象がある様に思って、これを信仰で良くしよう、良くしようと心で現象の問題をつかむ様な傾向がある期間の生長の家をやっている人にはあると思う。私はその典型であった。
 しかし、真理は実相独在であり、現象はナイのであるから、現象を良くしようとするなんてナンセンスなのである。それは単に我(が)が迷って、空回りしているだけである。本当は実相独在で現象や肉体はナイのであり、実相円満完全は今、ここにあるのであるから、神に全託で良いのである。
 そして、問題や悩みみたいに見えるものも単に我(が)がアルアルと思って、握っているのが映っているだけであるから、そんなものはナイのであり、それは具体的には神様が消して下さるという形で現象的には解決する。

 要するに現象ナシ、肉体ナシ、実相円満完全、実相独在という事は我々の悩みも問題も神が消して下さるという事であり、我々が過去に犯した罪、子供を何人堕ろしたとか、人を傷付けたとかそんな事も神様が無条件で消して下さるという事である。

 それをいやそうじゃない、自分が心を清め、罪滅ぼししなくしゃならんと思って、その罪とか問題とか悩みを心でつかむから、問題が消えないのであり、また、心に罪を握っているから、また同じ罪を犯してしまうのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-04-17 12:31 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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