自分の行動が神の行動である。

 私はかつて、榎本恵吾先生に「私は自分の言葉が他の人をミスリードするのではないかと心配になる事があります。」と申し上げた事がある。そうしたら、先生はすかさず「人間神の子という事は自分が神であるという事だ。それは自分の言動、行動が全て神の言動、行動であるという事だ」とズバッと諭された。

 さて、話は変わるが先日、私はテニスのシングルスの試合に出た。その時、内側からのインスピレーションのままに打って行こうと決めていた。そして、その打ち方即ち技術的にどうするかという事は百%内側からのインスピレーションのままにやれば良いという事は分かっていた。

最初に出だしでサービスを打った時、非常に緊張しているのが自分で分かった。緊張でトスが上手く上がらないのである。実はこの所、私はちょっと体調不良で特に胃腸の調子が悪かった。
 それで体調が万全でなかったが試合は既にエントリーしていたので、仕方なく出たのである。そうした体調不良もあってか、私は自信が無かった。そして、試合の最初だから、緊張していた事もあり、トスが上手く上がらなかったのである。その時、どうしようかと思った。トスが上手く上がらないという事はサービスが上手く打てないという事につながるからである。
 しかし、それでもやって行く内に私は段々気分が乗って来て、トスも安定する様になって来た。また、緊張していてサービスに不安があったので、最初は無理しないで弱くてもいいから入れていく事に専念していたが、やがて、自ずと気分が乗ってきて、思い切り打てるぞという気持ちになって、ファーストサーブは勿論、セカンドサーブも思い切り振って、回転を掛けて打つ様になった。
 
 その試合は惜しくも4-6で落としたが、大部、状態が良くなり、次の試合には大部乗って来て、行けると思ったがこちらも惜しくも5-6で落としてしまった。何だか結果が出ていないみたいだが、以前の私だったら0-6とか良くても2-6位のスコアで負けていたからこれは進歩だと思って悦んだ。次はもっと良くなると思う。

 ところでこの時、思ったのはテニスの試合で技術的な事、どう作戦を立てて行ったらいいかという事は内側からの我が内の実相生命から来るインスピレーションに百%任せて良いという事以外に、勇気とか大胆とかと言った精神的なものも我(が)で無理に自分に強いなくても内側から自ずと出て来るという事が分かったのである。
 よく、スポーツの試合で緊張したら力が発揮出来ないから、恐怖心を振り払う為にあれこれ工夫するという事を聞いているが、本当はそんな事をしなくても、弱気だったものもやって行く内に自ずと強気とか勇気が内側から出て来て、私の場合はサービスを始めとした様々なショットも思い切り強気で打てる様になったのである。

 要するに実相は自分で出て来るのであって、我(が)が力んで工夫する必要は無いのである。そのままでよいのである。そして、弱気なものが自ずと強気になって行くのであり、そこに我(が)の工夫が要らないのであるから、弱気であったものも実は本当に弱気であったのではなくて、神がまだそこに顕在していなかっただけでそこには確かに神のうねりがあったのである。
 要するに我らは今、そのままで神であるのである。我々の一挙手一投足がそのまま神の一挙手一投足であるのである。信仰とは自分の行動を注意して神らしくして、その結果、幸福になり、成功しようというものではなくて、自分の行動全てがそのまま神の行動であったと悟る事である。それがそう見えないという事が自分の観の歪みであるという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-04-21 12:33 | 信仰 | Trackback(2) | Comments(0)
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