現象はナイ

 現象はナイというのが生長の家の神髄である。我々は信仰していて、色々お陰を受ける事もある。病気が治ったとか、家庭苦が消えたとか、事業が繁栄したとか、入学試験に合格したとか、そんな事である。しかし、それで良かった、良かったなんて言っていては足をすくわれるのである。
 何故ならば、それは現象にとらわれているからである。そんな事ではその反対に病気になったり、事業に失敗したり、図らずも罪を犯したり、人を傷付けたりなんて事になれば、その信仰はガラガラと音を立てて、崩れるのである。

 本当の信仰は現象はナイと言う事を悟る事である。現象はナイという事は現象のあらゆる幸福もナイ、それは夢幻であると言う事である。そういう事であるならば我らの肉親もナイ、また師もナイのである。全て、自分の心の反映である。ここの所は「無門関」に出て来る。

 要するに真の信仰というものは信仰で現象を良くして悦びましょうというものでなくて、今このまま現象ナシという事に目覚める事である。そして、真に存在するものは今、ここ神の子完全円満、無限力であると言う事そして、全ての悪も罪も病気も自分の心が勝手に作り上げた自分の心の反映であるのであるという事を悟る事である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-04-22 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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