地獄の底は極楽である

 私は地元の野球チームのまとめ役をやっているが、先日、とんでもない重大ミスを犯した。野球の市民大会で私が試合日程を間違えて、試合当日、その場所に我がチームは行かなかったのである。結果は当然、不戦敗である。せっかく我がチームは一回戦勝って、二回戦に進んだのにチームの皆にもそして相手チーム、審判にも多大な迷惑を掛けた。私はその事が分かった時、しばらく仕事が手につかないほどショックを受けた。どうしてこんなミスを犯したかと言ったら、今までの経験で一回戦と二回戦の間は大体一ヶ月空くと思っていたから、一回戦の後の試合日程の確認を二週間ほどしなかったのである。しかし、試合はその間に行われていた。
 でも、私が日程確認の担当者であるので私の責任で多くの人に迷惑を掛けてしまったのは間違い無かったので、私はすぐに皆に謝罪のメールを出した。そして、世の中、本当に悪い事は起こらないのだから、余り自分を責めすぎない様にしようと気を取り直したが、中々心は晴れなかった。
 そして、その翌朝、目が覚めた直後、またすぐその事を思い出し、寝床でぼーっとしながら私は皆に迷惑を掛けたという気持ちと面目失墜したという気持ちとの両方にさいなまれたのである。しかし、その後、私は内側から、「そのままを受け入れよ、そのままは神だ、こうでなくてはならぬ、何としても失敗してはならぬ、面目を保たなくてはならぬという事は無い。」と言う声を聞く事が出来た。

 地獄の底は極楽であるという言葉がある、自分で一つの理想像みたいなものを握っていて、こうでなくてはならないと思っている場合がある。そして、その状態を何とか保とうとしているのである。そして自分をつかみ、支える事に執着し、何とか表面的に取り繕ったりして神に全託出来ない状態で我(が)で頑張るのである。しかし、そんな我(が)の頑張りなど何時までも続かないのである。我(が)は本来ナイものであり、無力であるからである。
 こうでなくてはならぬという気持ちを捨て、今、そのままを受け入れ、本当に神に打ち任せて、捧げて、その地獄と思う世界に思い切って、自己を放り出すのが良いのである。そうしたら、その地獄の底を突き破って、その下に落ちたら、そこが神の救いの世界なのである。

 そのままでよい。そのままで神である。そのままは表面的には色々、不具合や失敗に見える事もある。しかし、それが実相顕現の道である。勝手な我(が)の決めつけでこうでなくてはならぬと自己限定して、それを心でつかんではならないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-10 13:11 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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