真理は我が内にあり

 吾々は毎日、生きていてたまに迷う事がある。仕事とかの判断とかその他の人生上の重大な分岐点において、自分がどうすべきか迷ったり、又は求道者とか生長の家をやっている人などは真理の事で迷ったり、分からなくなったりする事があるだろう。
 しかし、迷った時、どうしたらいいか、どう考えるべきか、真理とはどういうものかなどと言う事は頭で考えても、一向に本当の事は分からないのである。私などは高校生の時、生長の家の高校生練成を受けて、生長の家の教義をある程度、勉強した後、生高連の仲間達と交わらず、自分一人で生長の家を勉強しようとした為に毎日、生長の家の真理について、頭で考える様になった。そして、考えて、ああそうかと思っても、すぐにそれが崩れて、又、分からなくなるなんて経験をよくした。
 それはどうして分からないかと言うと、生長の家の真理を自己の外に求めて、それを得よう、分かろうとするからである。分かろうとするから頭で考える。しかし、元々、その真理は自分の外にあると思っているから、頭で理屈で分かったつもりで又、分からなくなるのである。

 本当の真理は自分の外にあるのではなくて、自分の中にあるのである。自分の中と言うか、自分自身が真理そのものである。答えを求めると言うが、自分が答えそのものである。それなのに真理とか答えが外にあると思って、追い求めるから分からないのである。

 頭で考えなくても、何をどうしたら良いかはその時の自分が教えてくれるのである。吾々の本体が真理そのものであるからだ。そして分かった所の真理の実行は我が内の神が行う。我(が)が工夫して行うのではない。誠にも実相は自分で出て来るのであり、そのままでよいのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-20 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(1)
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Commented at 2008-05-21 09:21 x
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