生長の家とは何か(9)

 私は生長の家は母親によって、幼い頃に伝えられた。私は母が仏壇に毎日、聖経「甘露の法雨」を誦げるのを母の膝枕で聞いていたし、母は私の就寝前に生長の家のお祈りを毎晩してくれた。それによってか私は生長の家が当たり前と言うか、身体に染みついていたと思う。それらの母親が私にしてくれた事で私の一生が決まったのである。それを思い返すに母には本当に感謝の思いで一杯である。

 その後、高校生になったら、母から半ば、強制的に河口湖道場で開催された生長の家夏季高校生練成会に行かされ、そして、その後の飛田給での冬の練成会も参加した。その後、私は生長の家高校生連盟の仲間に活動に誘われたが、私はそういう事が嫌であったので一人で生長の家を勉強する様になった。しかし、それでは駄目だと大学生の時に悟り、自分から生長の家青年会に入り、そして、現在はお陰様で生長の家相愛会で悦びの活動をさせて頂いている。

 さて、長々と私の経歴を書いたが、私は以前、どうして自分は生長の家など知ってしまったんだろう、こんなものを知ったばっかりに心の苦しみをしなくてはならないと思って、生長の家を知ってしまった自分の運命を呪っていた時期もある。他の人はこんな事で悩まずに適当におもしろおかしく暮らしてるじゃないかと思っていたのである。同じ様な思いを持っている人ももしかしているのではないか?
 その心の苦しみの最大のものは何かと言ったら、心の法則というものを知った為に「思ったら思った通りになる」のだから、自分の心のコントロールに苦しんだのである。要するに思ったら思った通りになるのなら、恐怖したらその恐怖した事が実現するのであるから、恐怖しまいと思う。でも、そう思えばそう思うほど恐怖心が出て来て、終いには恐怖することを恐怖するなんて事になって来て、心が悶々とするのである。それでそんな心を治す為に、積極的に愛行するとか、祈るとか明るく振る舞うとかして、努力はした。要するに一人でうじうじ考えずに積極的に人と仲間と交わり、活動する事によって、そうした心の苦しみも幾分、軽減した。でも、それでは一時的にごまかしただけで根本的な解決にはなっていないのである。

 しかし、その後、私は榎本恵吾先生に巡り会う事により、自分が今、神であると言う事を実感する事が出来る様になった。そして、自己の心を自己が一所懸命、努力して、良くする事により、実相顕現させるのだと頑張っていたそれまでの考え方が消え、今、このままでここが神の国であり、自分は自分の心が支えなくても今、そのままで神に生かされていると分かった。要するに自分の心が自分の運命とか健康状態とかを造ると思って、それを良く保とうとそれまでガチガチであったものが自分の心なるものは無く、今、ここに神の心があり、それにより自分そして万物は完全に生かされているという事が分かったのである。

 本当に生長の家というのは今、ここに神が息づき、それにより吾等が完全に生かされ、支えれているという事に他ならないのである。それの悟りが出て来る為にそれまでの心の苦しみ、即ち心をコントロールしなければならないという迷いの段階があった訳である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-22 13:01 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yuko at 2008-05-22 14:18 x
合掌ありがとうございます。今日のお話は私と全く同じでウンウンと頷きながら読ませていただきました。実相が自分で出てくることで榎本先生のご本に出会い、生かされていることを実感し、また堀さんや共に感動できる仲間に出会ったことを心から感謝している毎日です。4月から新しい教化部長になり、楽しく悦びの毎日を過ごしております。「そのまま」を地でいっている教化部長です。「そのまま」ていいなぁと思いながら自分もそのままになっている。素晴らしい響き合いです。私たちは現象に何があっても“今ここ完全円満”なんですよね。嬉しいです。
Commented by koujihori at 2008-05-22 15:09
yuko様

 有り難うございます。そうですか、やはりyukoさんも同じ過程を通って来たのですね。実相独在の悟りはやはり、一筋縄では得られないって事ですね。
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