悩み

 昔から「悩みは尽きない」とか「一難去ってまた一難」とか言う言葉がある。要するにある悩みを抱えて生きて来たとして、それが何かのきっかけで解消したりするとまた次の悩みが発生して、悩み続けるという事である。

 テレビの美容整形外科のコマーシャルで言っていたが「私のこの鼻がもう少し高かったら」とか「私のこの目がもうちょっと大きかったら」とかと現在の自分の容姿がもう少しこうなったら私は完璧になるのに自分の容姿のこの部分が良くないからと悶々とその自分の容姿の欠点に引っ掛かり、悩み続けるのである。実際、美容整形をする人は自分の気に入らない容姿を手術により、治す。それで一時的にそれまでの悩みは解消されるが暫くすると又、別の部分に引っ掛かり、悩む様になり、そして、又整形するのである。この様にして美容整形する人はそれを繰り返すらしい。

 ようするに悩む対象というのは具体的な存在ではなく、自分の悩む心がそこに投影されて、それが自分に取って、欠点とか問題と感じられているに過ぎないのである。即ち、悩みというものは問題をつかむ心である。問題をつかむ心とは問題をありとして、自分でそれを良くしようという心である。問題をありとして心でつかむ心が問題を大きく映し出し、そして悩む事になるのである。何故ならこの現象世界は自己の心が造り出すものであるからである。
 従って、その現象を手術とかその他の外科手術的処置で何とかしても、心が治っていなければ、又、別の問題や悩みが生じて来るのである。その心というものはこの世に悪とか問題があると思う心即ちこの世界が今、このままで何も問題もナイ、悪もナイ、神に作られた完全円満の世界であると言う実相を悟らない心である。このままでは駄目だ、悪もある、問題もあると言う神の完全円満さを信じない心が何かしらの問題や悪現象を現象世界に投影し、そして、それに引っ掛かり、引っ掛かる事でますますそれが大きな問題に自分に感じられ、そして悩み続けるのである。

自己がこの世界がこのままで神に造られた完全円満の世界であるという悟りに目覚めれば、問題をありとしてそれを良くしようとする心即ち問題に引っ掛かる心が消えるから、連動的に何かに悩む心も消え、不悩不苦の世界を体験する事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-26 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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