利己主義

 利己主義というものが良くないものであるという事には誰も異論が無いだろう。そして、自分は利己主義者だなんて思っている人も先ず居ないと思う。やはり、誰でも自分は利己主義者でなく、善人で全体の事を考えていると思っているのである。あのアメリカのギャングの大ボス、アル・カポネでさえ、自分ほどいい人は居ないと思っていたという逸話がある。

 従って、誰でも「お前は利己主義者だ」なんて言われれば腹が立つのである。それは誰でも神の子であり、その本質は神の愛だからだ。しかし、現実には利己主義者はいくらでもいる。本人はその事を自覚していないだけである。逆に真に愛他的な実相が顕現した人は過去の自分は利己主義者であったと反省するものである。利己主義者であったと気がつくというのはもうその人は利己主義者の段階を超えたと言う事だからである。
 
 聖典「生命の実相」にある逸話だが、ある人が谷口雅春先生に「私は不眠症で、どうにも困っています。」と相談した所、先生はすかさず「ああ、不眠症とかノイローゼって言うのは利己主義の人がなる病気だ。愛他的になったら治るよ」とピシャッと仰ったと言う事である。

 要するに不眠症とかノイローゼって言うのは不安だから、なるのである。では何故、不安になるかと言ったら、自分の事が心配だからである。要するに自分の事ばかり考えている、即ち利己主義という事になるのである。

 では、何故、自分の事ばかり考える様になるかと言ったら、実相とか完全円満を現象の世界に求めるからである。人間は実相は神の子であり、完全円満であるから、それを現象に表現したいのである。従って、それを強く求めて、実現したい願望があるのである。しかし、その完全円満即ち神の国を現象に求めると間違うのである。完全円満さ、神の国を現象即ち自分の外に求める心が完全主義であり、それが常に自分の心配をしている即ち利己主義につながるのである。
 現象に完全や神を求める心が迷いの正体である。誠にも神の国は我が内にありである。それは別の言い方をすれば、今、ここそのままでここが神の国、実相世界であり、そのままでよいという事である。真に愛他的になるにはもう自分の事は一切考えない要するに心配しない境地にならないと出来ないのである。その境地とは今、このままで自分が完全円満であり、今、ここがそのままで神の国であり、自分も含めて誰も救う必要が無いと自覚する境地である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-05-29 12:57 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yuko at 2008-05-30 09:43 x
すごい!!の一言です。ありがとうございます。
Commented by koujihori at 2008-05-30 10:30
yukoさん

 有り難うございます。実はこれって僕の心の経歴なんです。まあ、体験談みたいなもんです。
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