問題はナイ(6)

 榎本恵吾先生は「問題はナイ」という事をよく仰っていた。吾々はこの問題さえ解決したら、自分は完璧になる、しかし、この問題がある為に自分は完璧になれない、だから悦べない、というような事を多くの人は悩みとして持っているのである。そして、そうした問題を引き起こしてしまった過去の自分の判断を悔やみ、自分を責め、悶々としているのである。
 しかし、問題というものはそれが如何に複雑な深い問題の様に見えても、ナイ!のである。私は子供をこれだけ堕ろしましたとか、私は家庭が複雑で父又は母が何人も居るんですとか、私は私の判断ミスでこんな重大な結果を引き起こしましたとか色々現象を見るに問題が山積している様に見える。しかしながら、それを忘れている時は問題は無いのである。要するに問題というものは自分の心がその事に引っ掛かっている時だけ、そこにそういう問題があると自分に認識されるに過ぎない。だから、毎日、生活するのに必死になっている様な境遇の人には精神的悩みなど存在しないのである。自分の過去にこれだけの過誤を犯した、それで悶々とその事について悩むなんてのはそうした事で悩むだけの生活のゆとりがあるからである。

 要するに問題なんて実は本当には具体的には存在しないのであり、それは自分の心の引っ掛かり、停滞が影を映しているのに過ぎない。要するに神は完全円満であり、無限であり、その神が今、ここに全宇宙に行き渡っているのであるから、問題とか悪なんてたった今、神が全部消して下さっているのである。それを勝手に吾々人間が問題とか悪を心に描いて、現象に映し出して、「これは問題だ、問題だ」と言っているに過ぎないのである。

 問題はナイ!たった今、ナイ。神がその全知全能の力でそれを一瞬の元に消しておられるのである。過去に問題とか罪があったかの様に観じられているのも現在の自分が勝手に自己に罪あり、問題ありと心でつかんで、それを自分の過去として映像に映しているに過ぎない。自分の過去も実在ではなく、現在の自分の心の影なのである。そして、過去の自分も現在の自分も今、このままで完全円満の神であるから、その実相は一度も罪を犯した事も問題を引き起こした事も無いのである。だから、後悔とか反省は要らないのである。

 この様に問題というものはナイのであると悟る事が、実相独在を悟り、解脱するという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-06-02 12:33 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/8021337
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 吾々は今、完全円満、無限力である。 今、悦んでよい(2) >>