吾々は今、完全円満、無限力である。(2)

 吾々は神の子であり、完全円満、無限力である。そして、それは将来、そうなるというのではなく、今、たった今、そうなのである。それは題目ではないのである。事実である。今、現に完全円満であり、無限力である。それをいや、自分はまだ不完全だ、まだ力が無いと言うのは迷いなのである。それは現象を見て、そう思っているのである。しかし、現象はナイのであり、今、ここにあるのは実相そのものである。その実相のみ今、ここにあって、吾を生かし、吾に無限力を出さしめ給うのである。それが「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命、吾が業(わざ)は吾が為すに非ず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」という招神歌(かみよびうた)になっているのである。

 それを悟らないで良くしよう、良くしようとするから、却って良くならないで逆に悪くなって行くのである。それでこれでもか、これでもかと行をやったりする。もしくはこれが出来ないから、ここの能力が足らないからとそれを良くしよう、出来るようにしようという事で訓練する。しかし、それで却って、駄目になり、下手になって行くのである。

 良い所のみを見るという日時計主義の生き方は悪い所を心でつかんで良くしようという心ではないから、今、そのままで自分が完全円満、無限力であるという実相独在の信仰の表明、行動化であって、決して、方便的な一時的な心の安らぎを得る為の手段的なものではない。

 今、このままで完全円満であると信じて、決して、悪い所を見つめて、良くしようと思わないで、どんどんやって行くのである。スポーツにしてもスピーチにしても英会話にしても仕事にしても、講話にしてもである。そうして行く内に現象的に不完全な所は自ずと消えている。現象的に不完全な所は自分はまだここが駄目だ、将来それを努力と信仰によって、良くしようと思って、自分の悪や欠点や無能力を心でつかんでいるその自分の心の影が映っているだけなのである。

 それが分かれば、吾々は信仰によって、いつかは実相顕現させて、その時、幸せになろうとか、その時、悦ぼうなんてしなくても、今、正に、現に今、そのままで完全円満、無限力である事をストレートに受け取り、実感し、悦ぶ事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-06-11 12:32 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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