英語は絶対、勉強するな

 サンマーク出版の本で「英語は絶対、勉強するな」という本がある。これはある韓国の人が書いた本で題名から、ちょっとショッキングなインパクトがある。これは英語を勉強する事に反対意見を持つ人の本かと思ったら、そうではなくて英語学習の為の指南書である。

内容はどういう事かと言ったら、学校で勉強する様に英語を勉強していてはいくらやっても本当には英語を話せる様にはならないと言うのである。即ち、単語や文法をせっせと覚えて、練習問題をやって行くという様な勉強方法であるが、これでは頭の良い人は単語も文法も覚えるだろうが、それで英語で真に必要な英語を聞き取る能力、話す能力がつくかと行ったら、先ずつかないと言うのである。その著者による英語の上達法はこういう勉強法ではなくて、ナチュラルスピードの速い英会話をひたすら聞き、それをノートに書き取り、分からない単語は英英辞典で調べよというものであった。

 英語に限らず、スポーツでもピアノでも真に上達する為には大体、3~4歳位から始めないと駄目だと言われている。大人になってから何かを始めても子供の時からその事に親しんで来た人には先ず、勝る事が出来ないと言って、過言ではない。
 それは何故かと言ったら、大人は何かを上達しよう、覚えようとする時に先ず、自分はこの事が下手であり、出来ないからそれを練習や学習によって、出来るようになりましょうと思っているからである。

 出来る様になろうとするのではなく、ただ、そのままの心でやると言う事が大切な事である。英語その他の習い事が大人になってから始める人が余り、上達しないのは自分を出来ないものであると先ず思って、それを出来る様になろうとして、練習したり、勉強するから、その自分は出来ないという思い通り、いくらやっても出来ないままなのである。しかし、幼少の時にそれを始めれば、自分は出来ないから出来る様になろうとしてやるのではなく、ただ、そのままの心でやるから、どんどん出来る様になるのである。その「ただ、やる」というのはそのままの心、吾等の内なる神の心である。幼子はその心のままに生きているのである。その幼子の心、内なる神の心でそのままやるから、どんどん出来る様になるのである。何故ならば、神の心とはそのまま完全円満、無限力の心であるからである。

 吾々が生長の家をやるのでも自分はまだ駄目だ、まだ病気だ、まだ心が清まっていないなんて思って、それで良くしようとして、生長の家の行を一所懸命やったり、練習しても駄目なのである。今、このままで既にここに神の完全円満の無限力の生命が吾を通して、生きていると自覚し、そのままの心でどんどん色々な事をやって行けば良いのである。英語にしても既に今、出来る、分かるとしてどんどん英語を聞き、話し、スポーツ何でも、仕事でも既に今、出来ると思って、何でも挑戦したら良いのである。そこに神が直接神する、完全円満が直接、完全円満する展開となり、どんどん色々な事が出来る様になって行く。

 生長の家の行にしても、それで自分の潜在意識を清めて、自分の健康と運命を良くしましょうなんて事を思っていれば、その想念の通り、いくらやってもまだ自分は駄目だという思いが強くなって、駄目なままなのである。そうではでなく、自己の内部の今、ここに息づいている神が神する行、神想観が神想観する行になる所、そこから実相が実相する、即ち実相が直接自分で出て来るのである。それが真に実相が顕現するという事である。

堀 浩二 
by koujihori | 2008-06-12 12:53 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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