心配要らない

 私は子供の頃から割合、神経質というか完全主義者で何でも完全に漏れなくやらなくては気が落ち着かない所があった。それで割合、おうようで適当にやれる人というのが内心、うらやましかった。自分の性格を変えたいと思って、ずぼらでおうようなふりをした時期もあったが、そんな事をしても、本心から性格が変わる訳ではないのである。

 社会に出て、会社に入り、色々な責任を持つようになって、その性格は仕事に出る様になった。それで間違いなく、落ちなく、つつがなく仕事が出来ているか、連絡は取れているか等々の事を完璧にやろうとして、やっきになった。また、生長の家の青年会に入っていたので活動も完全にやろうとした。勉強会や誌友会のの連絡とか行事の参加促進とかの電話掛けとかそうした事は会社から帰ってきても、毎日何事かの用事があり、常に気を張り詰めていた。そうした仕事や生長の家の活動に限らず、何か自分のやらなくてはならない事で落ちは無いか、間違いはないかと常に戦々恐々としていたのである。

 しかし、それは私は私の力で生きていると思っていたからである。吾々は自分の力で生きる事は一秒も出来ない。心臓を自分で動かす事も出来ず、肺臓を自分で呼吸させる事も出来ないのである。全て、内なる神に生かされ、支えられているのである。それが吾々が生きているという事である。そして、宇宙万物一切が神により生かされ、支えられ、導かれているのである。その事が分かったら、もう何も心配は要らないのである。

 私は最近、特に「問題はナイ、一切は神に支えられ、導かれ、生かされている」という真理を一層具体的に実感する様になれて来た。一切は心配要らないのである。全ての仕事は神がつつがなく完璧に漏れなくやって下さり、全ての憂い、問題は神が消して下さる。私は一つも悩む事も考える事も心配する事も要らなかったのである。それが分かった時、私は心がずっと軽くなり、却って必要な事に目が向くようにかつ以前よりもずっと視野が拡がった。今まで何事かを心配して、自分が何とかしなければとそれを心に握っていた為に他のものが目に入らなかった様である。それと共に他人の心情にも思いやりを持てる様になれて来たと思う。それまでは自分の事ばかり考えていたからである。

堀 浩二
by koujihori | 2008-06-13 12:30 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2008-06-13 17:55 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2008-06-14 09:44
シークレットコメント様

>生かされぱなっしの・・・

 正に仰る通りです。我々は神に生かされっぱなしです。本当に何も心配要らないです。生長の家は本当に素晴らしいですね。
Commented by 畑 中  正 at 2008-06-17 21:08 x
大麻相愛会のブログに書き込みありがとうございます。私自身は、節目節目に総本山に、行かして頂いている、幸せ者であります。常に「尊師谷口雅春先生」より直接、説法を聞けた幸せ者であります。だから少しでも、自分の感じた、「尊師谷口雅春先生」の思いを伝えたいといつも思っています。だから、ご恩返しのためにも、活動を続けたいと思っています。合掌
Commented by koujihori at 2008-06-18 09:07
畑中様

 雅春先生から常に直接、説法をお受けになられたのですか。それはうらやましいです。先生は確か昭和54位まで東京におられて、御指導されていたのですよね。それではそれまで度々、畑中さんは先生の御指導を受けられたのですね。

 私が青年会に入って、全国大会に初めて参加したのは昭和57年ですから先生はもうその時は総本山に行かれてました。でも、私が高校二年の時、横浜に講習会に雅春先生が御指導に来られた時に唯一、直接、御指導を受ける事が出来ました。その時は午前と午後に分かれて、確か午前中に雅春先生、午後に清超先生がお話下さったと思います。その時、先生は80歳を超えていましたが、髪の毛は黒々とたっぷりあり、背筋もピシッとしていて、どう見ても60代にしか見えず、失礼な言い方になりますが、「化け物じゃないか?」と思った事を覚えています。
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