神の国は我が内にあり(3)

 生長の家では中心帰一が大事であると言われる。具体的には生長の家の運動の中心は「生長の家の大神―生長の家総裁・副総裁―み教え」であり、生長の家の信徒はこの三つを貫く縦の流れが生長の家の運動の不動の中心であるという事を肝に銘じなければならないとある。全く、その通りである。昨日の文章でも書いたが、それが神意であるからである。

 しかし、その神意というものは本当はどこにあるかという事が問題である。生長の家は総裁・副総裁に中心帰一しなければならないから何が何でも両先生の言葉を盲信しなくてはならないなんてのも全く馬鹿げた事である。そんなのは全体主義の独裁者の言葉に何の疑いも持たないで盲信している愚民と同じである。

 本当の中心帰一というものは形ではなくて、心からなるものではなくてはならないのである。私は清超先生や雅宣先生の仰る事が分からない、自己の考えと違うと感じる時は批判は勿論しないが、考え込むという事もしない。そんな時は私はひたすら生長の家のお勤め、例えば誌友会のお誘いやその他のお世話活動や出講などをそれまで以上に一所懸命やる事にしている。そんな中で後から、両先生の仰っている事が分かったという事が殆どである。

 また、雅春先生がこう仰ってる、清超先生がああ仰ってる、雅宣先生がこう仰ってるという事でそれが真理の事よりも生活規範的な事を仰る事がたまにある。例えば、女性と二人きりで車に乗ってはならないとかお酒を呑んではならないとかけっこうそういう御文章もあるのである。そうなると谷口先生の仰る事が絶対だと思っていると先生がしてはならないと仰っている事をやるのは非常に悪い事の様な気がして来る事もある。
 しかし、そんなのは本当の信仰ではない。それは先生の言葉に縛られているのである。如何なる偉大な方と言えどもそれが自分の外にある存在であると認めるならば、その方のお言葉に縛られる事になるのである。そんな事では如何に表面的に善行しても真の善行とは言えぬ。真の善行とは自己の中に最高の価値を認め、そこから自ずと願いとして、本当にそうしたい、そうする事が悦びであると言う動機でなくては本当の善行とは言えないのである。

 吾等は信仰者として、生長の家の信徒して、例えそれが生長の家総裁・副総裁のお言葉であってもそれを外部からの指示であるとするならば、その言葉に断じて縛られてはならないのである。真理は自分の中にのみある。それに従ってさえおれば良いのである。自分の中の真理が自分で出て来る事によって、後から生長の家総裁・副総裁の仰っている事が分かるのである。生長の家総裁・副総裁に中心帰一するのは心からするのであって、外形的に縛られる事ではない。如何なる素晴らしいお言葉でもそれが自分の外にあるものと思っていれば駄目なのである。

 真理は我が内にのみあり、それがキリストが言われた「汝らの内にのみ神の国はあるなり」のお言葉である。

堀 浩二
by koujihori | 2008-06-18 12:34 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented by yuko at 2008-06-18 13:49 x
ごもっともです。頭がスッキリするご文章ですね。今、backに新垣勉さんのCDが流れる中で堀さんのブログを読ませていただいてます。とても癒されます
Commented by いろどりひかる☆ at 2008-06-18 14:52 x
ホントにスッキリします。ありがとうございます。
日頃、モヤモヤしていて形に出来なかったものを堀さまが見事に文章にしてくださいました。感謝です。
特にここ。
>>真の善行とは自己の中に最高の価値を認め、そこから自ずと願いとして、本当にそうしたい、そうする事が悦びであると言う動機でなくては本当の善行とは言えないのである。。。プリントアウトして貼っておきます。
Commented by koujihori at 2008-06-18 15:04
yukoさん

 いつも有り難う御座います。新垣努さんって盲目の方ですか?この方もご苦労されたのですね。でも、悲しみの奥地に聖地があるですね。
Commented by koujihori at 2008-06-18 15:06
いろどりひかる☆さん

 いつも有り難う御座います。今年は団参には行っていないのですか?ご指摘の所は良く、雅宣先生が仰られますよね。
Commented by いろどりひかる☆ at 2008-06-21 10:45 x
はい、今年の熊本の団参は7月なので、教化部の23年祭に参加いたしました。昨年の事を有難く懐かしく思いだします。
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